阿部翔平
阿部 翔平(あべ しょうへい、1983年12月1日 - )は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(おもに左サイドバック)。
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名前 | ||||||
愛称 | アベショー | |||||
カタカナ | アベ ショウヘイ | |||||
ラテン文字 | ABE Shohei | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年12月1日(41歳) | |||||
出身地 | 神奈川県横浜市 | |||||
身長 | 171cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1999-2001 | 市立船橋高校 | |||||
2002-2005 | 筑波大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2013 | 名古屋グランパス | 226 | (0) | |||
2014-2016 | ヴァンフォーレ甲府 | 67 | (2) | |||
2016-2017 | ジェフユナイテッド千葉 | 33 | (1) | |||
2017 | → ヴァンフォーレ甲府 (loan) | 24 | (1) | |||
2018 | ヴァンフォーレ甲府 | 5 | (0) | |||
2019-2023 | SHIBUYA CITY FC[注 1] | |||||
2024- | C GROSSO知多 | |||||
通算 | 355 | (4) | ||||
代表歴 | ||||||
2009 | 日本 | 0 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2022 | SHIBUYA CITY FC | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集小学校1年生で黒滝サッカークラブでサッカーを始める。中学校時に地元の横浜フリューゲルスジュニアユースへ推薦を受け[1]、そのままチームが消滅する1998年まで所属した。
船橋市立船橋高等学校へ進学。3年生時にはミッドフィールダーとして背番号10を背負ってキャプテンを務め、第80回全国高等学校サッカー選手権大会にも出場した[2]。筑波大学進学後はディフェンダー(サイドバック)へ転向し、4年生時にはユニバーシアード日本代表に選出された[3]。大学での同期には秋葉陽一、藤本淳吾、中野洋司がいる。
2006年、名古屋グランパスエイトへ入団。当時監督であったフェルフォーセンに見出され、2007年シーズン途中から出場機会を増やしレギュラーとして定着[4]。3バックと4バックを併用する中で主に左サイドバック・サイドハーフでの起用が多かったが、負傷者が続出したチーム事情からセンターバックを務める場面もあった[5]。体格は大きくないながらも高い身体能力で守備をこなし、この年のチームの新人王を獲得した。2007年をもってフェルフォーセンは監督を退任するが、次に監督就任が決まっていたPSVアイントホーフェンに阿部を連れて行くことも検討されていた[4]。
2008年にストイコビッチが監督就任すると、引き続き左サイドバックとしてリーグ戦全34試合に出場した[4]。また、前年まで有村光史が背負っていた背番号6に変更された。6月8日ヤマザキナビスコカップ予選リーグ第6節浦和レッズ戦でプロ入り初ゴールを決めた。12月には日本代表に初招集され[6]、Jリーグアウォーズ優秀選手賞にも選出された[7]。2009年1月のAFCアジアカップ2011 (予選)で代表に選出された[8]。その後も左サイドバックのレギュラーとしてほぼ全試合に出場を続けたが、2013年シーズンをもって契約満了により名古屋を退団した[9]。
2014年1月7日、ヴァンフォーレ甲府への加入が発表された[10]。8月23日のガンバ大阪戦でJリーグ初得点を記録。247試合目での初得点は桑原裕義の244試合を更新するJ1最遅初得点記録となった[11]。 甲府では全試合に左ウイングバックとして先発出場し、2年連続のJ1残留に貢献した。
2015年12月15日、ジェフユナイテッド市原・千葉への完全移籍が発表された[12]。初めてのJ2でのプレーとなる。
2017年3月、ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍で復帰[13]。5月7日、第10節のジュビロ磐田戦で史上92人目となるJ1通算300試合を達成した[14]。シーズン終了後に完全移籍で甲府に加入した[15]。
2019年2月19日、TOKYO CITY F.C.に完全移籍により加入すると発表された[16]。
2021年12月1日、SHIBUYA CITY FCの選手兼任監督に就任した[17]。
2023年1月8日、SHIBUYA CITY FCの監督に増嶋竜也氏が就任したことに伴い、選手兼任監督が解消[18]。
2023年12月20日、SHIBUYA CITY FCを契約満了で退団することが発表。なお、多大なる貢献により背番号「6」はチームでの永久欠番となる[19]。
2024年2月26日、C GROSSO知多に加入することが発表された[20]。
所属クラブ
編集- 黒滝サッカークラブ(横浜市立菅田小学校[21])
- 横浜フリューゲルスジュニアユース(横浜市立菅田中学校[21])
- 船橋市立船橋高等学校
- 筑波大学
- 2006年 - 2013年 名古屋グランパスエイト
- 2014年 - 2015年 ヴァンフォーレ甲府
- 2016年 - 2017年 ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2017年3月 - 同年12月 ヴァンフォーレ甲府(期限付き移籍)
- 2018年 ヴァンフォーレ甲府
- 2019年 - TOKYO CITY F.C./SHIBUYA CITY FC
- 2024年 - C GROSSO知多
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 筑波大 | 20 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2005 | 7 | - | - | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
2006 | 名古屋 | 31 | J1 | 9 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 |
2007 | 27 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 34 | 0 | |||
2008 | 6 | 34 | 0 | 8 | 1 | 2 | 0 | 44 | 1 | ||
2009 | 32 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 38 | 0 | |||
2010 | 31 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 | |||
2011 | 32 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 | |||
2012 | 29 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 34 | 0 | |||
2013 | 32 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 38 | 0 | |||
2014 | 甲府 | 27 | 34 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 39 | 1 | |
2015 | 33 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 36 | 1 | |||
2016 | 千葉 | J2 | 33 | 1 | - | 1 | 0 | 34 | 1 | ||
2017 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||||
甲府 | J1 | 24 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 25 | 1 | ||
2018 | J2 | 5 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 12 | 0 | ||
2019 | 東京C/渋谷C | 21 | 東京都2部1ブロック | - | - | ||||||
2020 | 東京都2部3ブロックA組 | - | - | ||||||||
2021 | 東京都1部 | - | - | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 317 | 3 | 39 | 1 | 17 | 0 | 373 | 4 | |
日本 | J2 | 38 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | 46 | 1 | ||
日本 | 東京都1部 | - | - | ||||||||
日本 | 東京都2部1ブロック | - | - | ||||||||
日本 | 東京都2部3ブロックA組 | - | - | ||||||||
日本 | 他 | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | ||||
総通算 | 355 | 4 | 43 | 1 | 23 | 1 | 421 | 6 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2009 | 名古屋 | 6 | 8 | 0 |
2011 | 7 | 0 | ||
2012 | 6 | 0 | ||
通算 | AFC | 21 | 0 |
代表歴
編集- 2009年 日本代表
脚注
編集- ^ 2020年までは「TOKYO CITY F.C.」
出典
編集- ^ 阿部翔平オフィシャルブログ ブログならしゃABEります!? (2008年9月26日). “たけうち☆あきら”. 2022年5月30日閲覧。
- ^ スポーツナビ. “第80回高校サッカー 出場校横顔 千葉県代表 市立 船橋(3年連続13回目)”. 2013年5月25日閲覧。
- ^ 【全国】ユニバーシアード代表候補最終選考合宿メンバー - ウェイバックマシン(2005年7月11日アーカイブ分) - 大学サッカーニュース(2005年6月24日)
- ^ a b c “今も“J8”で勝負続ける名手、阿部翔平/連載3”. 日刊スポーツ. (2020年11月28日) 2021年5月27日閲覧。
- ^ “「集中力」でスタメン定着だ DF阿部翔平”. 中日スポーツ. (2007年7月8日) 2009年12月25日閲覧。
- ^ “名古屋DF阿部翔平を日本代表に追加招集”. 日刊スポーツ. (2008年12月26日) 2009年12月25日閲覧。
- ^ サポティスタ (2008年12月13日). “Jリーグが優秀選手賞優秀新人賞を発表”. 2009年12月25日閲覧。
- ^ “AFCアジアカップ2011カタール予選”. 日本サッカー協会. 2019年2月19日閲覧。
- ^ 名古屋グランパス (2013年11月22日). “契約満了選手のお知らせ”. 2014年8月23日閲覧。
- ^ ヴァンフォーレ甲府 (2014年1月7日). “阿部 翔平選手 名古屋グランパスより加入のお知らせ”. 2014年8月23日閲覧。
- ^ ゲキサカ (2014年8月23日). “甲府DF阿部が247試合目、J1最遅初ゴールも…G大阪が意地のドローに持ち込む”. 2014年8月23日閲覧。
- ^ ジェフユナイテッド市原・千葉 (2015年12月15日). “阿部翔平選手加入のお知らせ”. 2015年12月15日閲覧。
- ^ ヴァンフォーレ甲府 (2017年3月12日). “阿部 翔平選手 ジェフユナイテッド千葉より期限付き移籍加入のお知らせ”. 2017年3月12日閲覧。
- ^ “2017明治安田生命J1リーグ 第10節 阿部 翔平 選手(甲府)J1通算300試合出場達成”. Jリーグ.jp (2017年5月7日). 2018年8月31日閲覧。
- ^ 阿部 翔平選手 ジェフユナイテッド千葉より完全移籍加入のお知らせヴァンフォーレ甲府 2017年12月30日
- ^ “阿部翔平選手 ヴァンフォーレ甲府より完全移籍のお知らせ”. TOKYO CITY F.C.. 株式会社PLAYNEW. 2021年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月17日閲覧。
- ^ “阿部翔平選手 兼任監督就任のお知らせ”. SHIBUYA CITY FC (2021年12月1日). 2022年1月21日閲覧。
- ^ “増嶋竜也氏 監督就任のお知らせ”. SHIBUYA CITY FC. 2024年8月14日閲覧。
- ^ “阿部翔平選手 契約満了のお知らせ”. SHIBUYA CITY FC. 2024年8月14日閲覧。
- ^ Grosso知多, C. (2024年2月26日). “TOPチーム 阿部翔平選手、加入のお知らせ | C GROSSO 知多”. 2024年8月14日閲覧。
- ^ a b “菅田小卒のJリーガー 阿部翔平選手が「夢」語る 40周年記念で講演”. タウンニュース神奈川区版 (2012年2月2日). 2019年2月19日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 阿部翔平 - Soccerway.com
- 阿部翔平 - FootballDatabase.eu
- 阿部翔平 - WorldFootball.net
- 阿部翔平 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 阿部翔平 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 阿部翔平 - J.League Data Siteによる選手データ
- 阿部翔平オフィシャルブログ - ブログならしゃABEります!?
- 阿部 翔平 (abesho.6) - Facebook