阿部正明
阿部 正明(あべ まさあきら)は、江戸時代前期の旗本。忍藩主阿部正能の二男。老中阿部忠秋の義孫にあたる。はじめ正貞(まささだ)、正方(まさかた)と名乗った。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 明暦元年(1655年) |
死没 | 享保4年9月16日(1719年10月28日) |
改名 | 正貞→正方→正明 |
別名 | 七三郎(通称) |
墓所 | 東京都大田区の池上本門寺 |
官位 | 従五位下・志摩守 |
幕府 | 江戸幕府 中奥小姓、小姓組番頭、書院番頭、大番頭、側衆 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
氏族 | 阿部氏 |
父母 | 父:阿部正能、母:牧野信成の娘 |
兄弟 | 正武、正明、正房、正員、女(松平康官正室) |
妻 | 永井直右の娘 |
子 | 七三郎(早世)、養子:正府 |
明暦元年(1655年)、阿部正能(当時は忍藩主阿部忠秋の養嗣子にして大多喜藩主)の二男として生まれる。寛文12年(1672年)12月8日、将軍徳川家綱にはじめて御目見する。
延宝5年(1677年)7月4日、父の隠居と兄正武の家督相続にあたり、阿部家所領から上総国夷隅郡(旧大多喜藩領)のうち5000石を分与され寄合に列する。延宝8年(1680年)8月晦日、中奥小姓となり、延宝9年(1681年)7月6日には小姓組番頭に昇進する。同年12月27日、従五位下・志摩守に叙任された。天和2年(1682年)4月21日、上野国新田・山田郡、および下野国安蘇郡のうち1000石加増され、合計6000石を知行する。貞享2年(1685年)10月3日に書院番頭、元禄8年(1695年)2月21日、大番頭を務め、正徳5年(1715年)3月11日には側衆となった。
享保4年(1719年)9月16日、病死した。享年65。実子が早世したため、甥(正武の子)の正府を養嗣子に迎え家督を継がせた。
参考文献
編集- 続群書類従完成会『新訂寛政重修諸家譜』第十、八木書店、1969年。