阿部未喜男
阿部 未喜男(あべ みきお、1919年〈大正8年〉12月2日 - 2005年〈平成17年〉12月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期、日本社会党)を務めた。
阿部 未喜男 あべ みきお | |
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生年月日 | 1919年(大正8年)12月2日 |
出生地 |
大分県速見郡杵築町 (現杵築市) |
没年月日 | 2005年12月7日(86歳没) |
死没地 | 大分県別府市 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 旧大分2区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1969年 - 1993年 |
来歴・人物
編集大分県速見郡杵築町(現杵築市)出身。熊本逓信講習所卒[1]。
全逓地方本部委員長を経て[1]、1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員総選挙で旧大分県第2区から日本社会党公認で立候補し初当選。以降、当選7回。
社会党右派グループ「水曜会」の代表を務めた。1992年(平成4年)、勲二等旭日重光章を受章[1]。翌1993年(平成5年)、横光克彦に地盤を譲り引退。引退後は横光の後援会会長を務めていた。
脚注
編集参考文献
編集- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。