阿南惟敬
日本の軍事史学者、阿南惟幾の次男(1921 - 1975)
来歴
編集東京出身。祖父は内務官吏・阿南尚、父は陸軍大将阿南惟幾、母は阿南綾子、その二男として出生。
陸軍士官学校(56期)。結核療養のため留年。 1945年6月に陸軍士官学校(58期)を卒業したが、同年8月15日に終戦を迎える。戦後は防衛大学校教授。 軍事史学界の中心人物として機関紙『軍事史学』を刊行するなど、軍事史学の研究で功績を残した。
著作に『清初軍事史論考』などがある。墓所は多磨霊園。
家系
編集- 父は終戦時に陸軍大臣を務めていた阿南惟幾で、惟敬は6人兄弟の三男である。父惟幾は閣議でポツダム宣言の受諾に反対しつつ、陸軍の暴走を抑えて終戦に持ち込まれたのを見届けた後、1945年8月15日早朝に割腹自決している。
- 兄である長男は早世し、弟に三男惟晟(陸軍少尉、1943年戦死)、四男・惟正(元新日本製鐵副社長、靖国神社氏子総代)、五男惟道(野間家へ養子、元講談社社長)、六男惟茂(元中華人民共和国駐箚特命全権大使)を持つ。
- 叔父に宮城事件の関係者である竹下正彦(陸軍中佐、陸将、参謀本部編制班長兼動員班長、陸軍省軍務局軍務課内政班長、第4師団長(陸自)、陸上自衛隊幹部学校長)、義妹に元講談社社長野間佐和子がいる。