関 重広(せき しげひろ、1892年9月6日 - 1982年2月13日 )は、日本の電気工学者、社会事業家、工学博士、専門は照明工学。「照明の父」といわれる。

せき しげひろ

関 重広
生誕 1892年9月6日
死没 1982年2月13日
出身校 東京帝国大学工学部電気工学科
職業 東芝関東学院大学教授小田原女子短期大学学長、滝乃川学園理事長
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来歴

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広島県出身(本籍は神奈川県小田原市)。海軍少将関重忠(1863-1945)の子。母は男爵渡辺清の娘文子(1872年生)。祖父は小田原藩士で、幕末の佐幕運動家関重麿東京帝国大学工学部電気工学科卒業。母が早くに亡くなり、父の後妻として佐賀藩士から官僚になった西岡逾明(1835-1912)の娘・喜美子が入った[1][2][3]

東京芝浦電気(現・東芝)に入社し、日本で初めて蛍光灯照明を開発し、その実用化を成功させる。戦後、関東学院大学教授をつとめる傍ら、妻真理子の伯父石井亮一が創立し、実の伯母石井筆子が学園長をつとめた日本初の知的障害者教育・福祉施設滝乃川学園の理事長(第6代)に就任、13年間つとめた。また、出身地の小田原女子短期大学学長もつとめ、郷里の教育振興に貢献した。

著書に『照明工学』、『照明学入門』などがある。

音楽学者奥村美恵子(小田原女子短期大学教授)は娘である。

参考文献

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脚注

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  1. ^ 関重忠『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  2. ^ 西岡逾明アジ歴地名人名出来事辞典
  3. ^ 『石井筆子』津曲裕次、大空社, 2001, p116