関根茂
日本の将棋棋士
関根 茂(せきね しげる、1929年11月5日 - 2017年2月22日[1])は、将棋棋士。山川次彦八段門下。棋士番号は61。2002年に引退。
関根 茂 九段 | |
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名前 | 関根 茂 |
生年月日 | 1929年11月5日 |
没年月日 | 2017年2月22日(87歳没) |
プロ入り年月日 | 1953年4月1日(23歳) |
引退年月日 | 2002年3月31日(72歳) |
棋士番号 | 61 |
出身地 | 東京府南葛飾郡(現:東京都葛飾区[注 1]) |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 山川次彦八段 |
弟子 | 飯野健二、泉正樹、北島忠雄、千葉幸生、佐々木慎、田中悠一、関根紀代子、神田真由美、矢内理絵子 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 関根 茂 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
通算成績 | 694–789 (.468) |
順位戦最高クラス | A級(3期) |
2017年5月4日現在 |
経歴
編集農林技官からプロ棋士になった異色の経歴を持つ[1]。加藤一二三は奨励会同期となる[注 2]。
高校時代に将棋に熱中し、作家・菊池寛を顧問に、永井英明が創立していた若者の将棋の会「青棋会」に参加する[2]。この会には清水孝晏(将棋史研究家・『将棋世界』編集長となる)、田辺忠幸(観戦記者)、斎藤栄(作家)らが参加していた[3]。
農林技官となるが、将棋の夢がすてがたく、1951年、22歳で1級で奨励会入り[3]。公務員を務めながら修行し1953年に四段に昇段してプロ入り[3]。
1985年から4年間、日本将棋連盟理事を務めた。2011年5月まで日本将棋連盟監事を務めた。
詰将棋作家として知られ、現役時代から詰将棋の手筋研究などを行っていた。引退後に、長年にわたって夕刊フジの詰将棋欄を担当し知名度を上げた。この問題は、後にiアプリ用ソフトとして配信されたり、PC用詰将棋ソフトに一部作品が収録されたりもしている。本人著の詰棋書によると、難解、晦渋な作品は好まないとのこと。
人物
編集弟子
編集棋士
編集名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
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飯野健二 | 1975年3月 4日 | 八段 |
泉正樹 | 1980年8月20日 | 八段 |
北島忠雄 | 1995年4月 1日 | 七段 |
千葉幸生 | 2000年10月 5日 | 七段 |
佐々木慎 | 2001年4月 1日 | 七段 |
田中悠一 | 2008年4月 1日 | 六段 |
(2023年10月12日現在)
女流棋士
編集名前 | 女流プロ入り日 | 段位、主な活躍 |
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関根紀代子 | 1974年10月31日 | 女流六段、タイトル挑戦2回 |
神田真由美 | 1979年11月 | 女流二段 |
矢内理絵子 | 1993年4月 1日 | 女流五段、女王2期、女流名人3期、女流王位1期 |
(2014年2月21日現在)
昇段履歴
編集主な成績
編集- 通算成績 694勝789敗
棋戦優勝
編集- 高松宮賞争奪選手権戦 1回(第3回高松宮賞)
準優勝
編集- 第19回(1969年度)NHK杯将棋トーナメント決勝で内藤國雄に敗れる。
- 第1回(1974年度)棋王戦決勝三番勝負で内藤國雄に1勝2敗。
- 第8回(1976年度前期)早指し将棋選手権決勝で桐山清澄に敗れる。
タイトル戦登場
編集将棋大賞
編集- 第27回(1999年度)東京将棋記者会賞
在籍クラス
編集→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 |
順位戦 出典[5]
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竜王戦 出典[6]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1954 | 9 | C213 | ||||||||||||||||
1955 | 10 | C202 | ||||||||||||||||
1956 | 11 | C113 | ||||||||||||||||
1957 | 12 | B213 | ||||||||||||||||
1958 | 13 | B208 | ||||||||||||||||
1959 | 14 | B207 | ||||||||||||||||
1960 | 15 | B203 | ||||||||||||||||
1961 | 16 | B202 | ||||||||||||||||
1962 | 17 | B201 | ||||||||||||||||
1963 | 18 | B203 | ||||||||||||||||
1964 | 19 | B112 | ||||||||||||||||
1965 | 20 | B104 | ||||||||||||||||
1966 | 21 | B106 | ||||||||||||||||
1967 | 22 | B103 | ||||||||||||||||
1968 | 23 | A 10 | ||||||||||||||||
1969 | 24 | B103 | ||||||||||||||||
1970 | 25 | B108 | ||||||||||||||||
1971 | 26 | B106 | ||||||||||||||||
1972 | 27 | B104 | ||||||||||||||||
1973 | 28 | A 09 | ||||||||||||||||
1974 | 29 | A 04 | ||||||||||||||||
1975 | 30 | B102 | ||||||||||||||||
1976 | 主催者移行問題により中止 | |||||||||||||||||
1977 | 36 | B104 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | B107 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | B110 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | B106 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | B202 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | B219 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | B203 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | B212 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | B217 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | B212 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | B213 | 1 | 3組 | -- | |||||||||||||
1988 | 47 | B218 | 2 | 3組 | -- | |||||||||||||
1989 | 48 | B224 | 3 | 3組 | -- | |||||||||||||
1990 | 49 | B218 | 4 | 3組 | -- | |||||||||||||
1991 | 50 | B208 | 5 | 3組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | B211 | 6 | 4組 | -- | |||||||||||||
1993 | 52 | B211 | 7 | 4組 | -- | |||||||||||||
1994 | 53 | B222 | 8 | 4組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C101 | 9 | 5組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C116 | 10 | 6組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C124 | 11 | 6組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C118 | 12 | 6組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | C201 | 13 | 6組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | C240 | 14 | 6組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | C238 | 15 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
主な著書
編集- スッキリ明快詰将棋 初段標準の218題(1999年11月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0358-7)
- よくわかる矢倉戦法(2002年11月、東京書店、ISBN 4-88574-432-6)