間瀬秀一
間瀬 秀一 (ませ しゅういち、1973年10月22日 - ) は、三重県四日市市出身の元サッカー選手。サッカー指導者、通訳者。
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2019年のサイン | ||||||
名前 | ||||||
カタカナ | マセ シュウイチ | |||||
ラテン文字 | MASE Shuichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1973年10月22日(51歳) | |||||
出身地 | 三重県四日市市[1] | |||||
身長 | 170cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW / MF | |||||
ユース | ||||||
1989-1991 | 暁高校 | |||||
1992-1995 | 日本体育大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997 | SFVゴールデン・イーグルス | 12 | (2) | |||
1998 | サイドキックス | - | (-) | |||
1999 | アマティトラン | 11 | (2) | |||
1999 | ミクトラン | 5 | (2) | |||
2000 | サン・ルイス | 4 | (3) | |||
2000 | NKシュパンスコ | 4 | (0) | |||
2000 | NKスラヴォナツ | 11 | (8) | |||
2000 | NKノヴァリャ | 17 | (10) | |||
2000 | NKトルニェ | 12 | (4) | |||
通算 | 76 | (31) | ||||
監督歴 | ||||||
2015-2016 | ブラウブリッツ秋田 | |||||
2017-2018 | 愛媛FC | |||||
2018-2019 | ブラウブリッツ秋田 | |||||
2021 | モンゴル | |||||
2021 | U-23モンゴル | |||||
2024- | ヴィアティン三重 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集小学校3年からサッカーを始め、小・中学校時代は地域代表にも選ばれた。暁中学校・高等学校卒。
1996年、日本体育大学卒業後にアメリカ合衆国に渡る。1997年、ユナイテッドサッカーリーグのクラブとプロ契約。その後、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、クロアチアの2部、3部リーグでプレー。シンガポールリーグへの挑戦も試みるが、2002年に帰国し引退した。スピードを特徴とするトップ下で、現役最後の所属クラブ、トルニェの監督は、アグレッシブさ、フィジカル、機敏さ、ドリブル、ジャンプ力に特長があり、特にスピードは優れていると評価されていた[誰?]。渡航した国々で英語・スペイン語・ポルトガル語をマスターしており、この経験が後の通訳業へと通じる事となる。
2002年9月、クロアチアへ再渡航、セカンドキャリアとしてJリーグの通訳を目指しザグレブ大学の短期コースにて正式にクロアチア語を学んだ。関西国際空港税関やクロアチアサッカー協会の通訳として働いていたが、2003年、ジェフユナイテッド市原より通訳職のオファーを受け帰国。イビチャ・オシム、アマル・オシム両監督の通訳を務めた。2004年に日本サッカー協会公認C級コーチライセンスを、2007年に日本サッカー協会公認B級コーチライセンスを取得。
2007年よりジェフユナイテッド千葉のトップチームコーチを務める。2009年は千葉のスカウトを務める。同年シーズン終了をもって千葉を退団。
2010年からはファジアーノ岡山FCのコーチに就任した。2012年をもって退団し、東京ヴェルディのコーチに就任。2013年シーズン終了後に1年で東京Vを退団[2]。
2014年度より日本サッカー協会指導者ライセンス・公認S級コーチの講習会を受講し[3]、2015年1月15日にS級ライセンスを取得したことが日本サッカー協会より発表された[4]。その翌日、1月16日にブラウブリッツ秋田の監督に就任することが発表された[5]。母親と祖父母が秋田県男鹿市出身という縁があった[6]。
2016年11月29日、契約満了に伴い退任[7]と合わせて、愛媛FCの監督就任[8]が発表された。
2018年5月15日、愛媛FCから契約を解除された[9]。同年7月11日、ブラウブリッツ秋田の監督に復帰[10]。2019年を持って退任した[11]。
2020年6月12日、那須信夫の運営するジュニアサッカークラブ、WYVERNのポリバレントコーチに就任[12]。
2021年4月1日より日本サッカー協会のアジア貢献事業の一環としてモンゴル国サッカー連盟に派遣され、モンゴル代表及びU-23モンゴル代表の代表監督を務めることになった。契約期間は2023年1月31日まで[13][14][15]。しかし、同年12月16日に眼の病気で退任した。
所属クラブ
編集- 暁中学校・高等学校
- 日本体育大学
- 1997年 サンフェルナンド・ヴァレイ・ゴールデン・イーグルス[2]
- 1998年 サイドキックス(フットサル)
- 1999年 デポルティーボ・アマティトラン
- 1999年 デポルティーボ・ミクトラン
- 2000年 CDサン・ルイスFC
- 2000年 NKシュパンスコ
- 2000年 NKスラヴォナツ・スタリ・ペルコヴチ
- 2000年 NKノヴァリャ
- 2000年 NKトルニェ
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | USオープン杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | SFVゴールデン・イーグルス | USL | 12 | 2 | 12 | 2 | |||||
グアテマラ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | アマティトラン | グアテマラ・プリメーラ | 11 | 2 | 11 | 2 | |||||
ミクトラン | 5 | 2 | 5 | 2 | |||||||
エルサルバドル | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | サン・ルイス | エルサルバドル・セグンダ | 4 | 3 | 4 | 3 | |||||
クロアチア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | シュパンスコ | 3.HNL中央 | 4 | 0 | 4 | 0 | |||||
スラヴォナツ | 3.HNL東 | 11 | 8 | 11 | 8 | ||||||
ノヴァリャ | 3.HNL中央 | 17 | 10 | 17 | 10 | ||||||
トルニェ | 2.HNL | 12 | 4 | 12 | 4 | ||||||
通算 | アメリカ | USL | 12 | 2 | 12 | 2 | |||||
グアテマラ | グアテマラ・プリメーラ | 16 | 4 | 16 | 4 | ||||||
エルサルバドル | エルサルバドル・セグンダ | 4 | 3 | 4 | 3 | ||||||
クロアチア | 2.HNL | 12 | 4 | 12 | 4 | ||||||
クロアチア | 3.HNL中央 | 21 | 10 | 21 | 10 | ||||||
クロアチア | 3.HNL東 | 11 | 8 | 11 | 8 | ||||||
総通算 | 76 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 76 | 31 |
指導歴
編集- 2003年 - 2009年 ジェフユナイテッド市原
- 2003年 - 2006年 :監督通訳
- 2007年 - 2009年 :トップチームコーチ
- 2010年 - 2012年 ファジアーノ岡山:トップチームコーチ
- 2013年 東京ヴェルディ:トップチームコーチ
- 2015年 - 2016年 ブラウブリッツ秋田:監督
- 2017年 - 2018年5月 愛媛FC:監督
- 2018年7月 - 2019年 ブラウブリッツ秋田:監督
- 2020年6月 - 2021年3月 wyvern:ポリバレントコーチ
- 2021年4月 - 2021年12月 モンゴル代表、U-23モンゴル代表:監督
- 2022年1月 - 2022年12月 wyvern U13監督
- 2023年1月 - 12月 wyvern トップチーム監督(東海社会人リーグ1部)
- 2024年 - ヴィアティン三重 トップチーム監督
監督成績
編集年度 | 所属 | クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | Jリーグ杯 | 天皇杯 | |||
2015 | J3 | 秋田 | 8位 | 45 | 36 | 12 | 9 | 15 | - | 2回戦 |
2016 | 4位 | 50 | 30 | 14 | 8 | 8 | - | 2回戦 | ||
2017 | J2 | 愛媛 | 15位 | 51 | 42 | 14 | 9 | 19 | - | 2回戦 |
2018 | 20位 | 10 | 14 | 2 | 4 | 8 | - | - | ||
J3 | 秋田 | 8位 | 22 | 16 | 6 | 4 | 6 | - | - | |
2019 | 8位 | 49 | 34 | 13 | 10 | 13 | - | 1回戦 | ||
J2通算 | - | - | 56 | 16 | 13 | 27 | - | - | ||
J3通算 | - | - | 116 | 45 | 31 | 40 | - | - |
- 2018年の愛媛は契約解除時点での成績。
- 2018年の秋田は監督就任以降での成績。
参考文献
編集- 長束恭行、「現地発、クロアチア・サッカー報告(13)」、『クロアチアに行こう!!』、2005年1月12日 00:16 (UTC)
- 木村元彦、『オシムの言葉 - フィールドの向こうに人生が見える』、集英社インターナショナル/集英社、ISBN 4797671084
- 『ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルサイト』、ジェフユナイテッド市原・千葉
脚注
編集出典
編集- ^ “秋田間瀬監督 スピード追求したチームに”. 日刊スポーツ. (2015年1月19日) 2018年5月16日閲覧。
- ^ a b 『間瀬秀一コーチ契約満了のお知らせ』(プレスリリース)2013年12月2日 。2018年5月16日閲覧。
- ^ “間瀬氏がS級講習会受講 千葉でオシム氏の通訳、東京Vコーチ”. スポーツニッポン. (2014年1月16日) 2015年1月16日閲覧。
- ^ “イビチャ・オシム氏の元通訳・間瀬氏や藤吉氏らがS級ライセンス取得”. Jリーグサッカーキング. (2015年1月15日) 2015年1月16日閲覧。
- ^ 『間瀬秀一氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ブラウブリッツ秋田、2015年1月16日 。2015年1月16日閲覧。
- ^ “秋田間瀬監督 スピード追求したチームに - J3ニュース”. nikkansports.com. 2023年2月8日閲覧。
- ^ “間瀬秀一監督、契約満了に伴い退任のお知らせ”. ブラウブリッツ秋田. (2016年11月29日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ “間瀬 秀一 氏 トップチーム監督就任”. 愛媛FC. (2016年11月29日) 2016年11月29日閲覧。
- ^ 『トップチーム監督及びヘッドコーチ 契約解除のお知らせ』(プレスリリース)愛媛FC、2018年5月15日 。2018年5月15日閲覧。
- ^ 『間瀬秀一氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ブラウブリッツ秋田、2018年7月11日 。2018年7月11日閲覧。
- ^ 『間瀬秀一監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)ブラウブリッツ秋田、2019年11月29日 。2019年12月10日閲覧。
- ^ 『間瀬秀一 ポリバレントコーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)WYVARN、2020年6月12日 。2020年6月12日閲覧。
- ^ “公益財団法人 日本サッカー協会 2021年度 第4回理事会 追認事項” (PDF). 日本サッカー協会 (2021年4月8日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ ““元オシム通訳”間瀬氏がモンゴル代表監督に就任! JFAアジア貢献事業”. ゲキサカ (2021年4月8日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ 間瀬秀一 [@ShuichiMASE] (2021年7月28日). "7日間の隔離が終わり今日から代表監督始動です!モンゴルサッカー協会が私の職場ですモンゴル国旗". X(旧Twitter)より2021年7月28日閲覧。
- ^ 『間瀬 秀一氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴィアティン三重、2023年12月12日 。2024年8月19日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 間瀬秀一 (@ShuichiMASE) - X(旧Twitter)
- 間瀬秀一 - Soccerway.com
- 間瀬秀一 - FootballDatabase.eu
- 間瀬秀一 - WorldFootball.net
- 間瀬秀一 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 間瀬秀一 - J.League Data Siteによる監督データ
- 間瀬秀一の監督成績 - thefinalball.com