開陽台
概要
編集標高271 mの小高い丘で、1929(昭和4年)から放牧地として使われていたが、1960年(昭和35年)にスキー場、翌1961年(昭和36年)に中標津中継局が設置された。
周囲に視界を遮るものがないので地平線が丸く見える[1]。晴れた日には野付半島や国後島まで望めることがある[1]。地球の丸さを感じられる視界を、近くにある武佐岳(標高1005 m)が少し妨げているところから、「330度の視界」をうたっているが、展望台からの視界という点においては360度見渡すことが出来る[1]。
付近には北海道遺産の一つである根釧台地の格子状防風林がある。また、1982年に発表された佐々木譲のツーリング小説「振り返れば地平線」に登場した事などから、1980年代以降は北海道ツーリングライダーの聖地としてライダーの間では広く知られる。
旧展望台は「カメハウス」と呼ばれライダー達から愛されていた。1995年に新しくなった現在の展望台は2階建てで入場無料。1階には「ハイジーの家」という軽食・土産物の店が入っており、店主の通称「かあさん」はライダー達から愛されていたが、2006年10月末を以って閉店、2007年春からは「ハイジーの家」にも商品を提供していた町内のジェラートショップ「リスの森」が店を構えている。
名称の由来
編集もともとこの丘は住民により「武佐台」と呼ばれていたが、正式な地名がないこと、武佐地区ではなく開陽地区に所在するのに武佐台ではそぐわない、として、1962年(昭和37年)2月11日の第3回町民スキー大会において所在地名の「開陽」より当時の町長が命名した[2]。
なお、「開陽」の地名は1918年(大正7年)に同地に学校ができる際、地名が無かったことから「陽に向け発展する。太陽のごとく拓け隆々発展する」との意で地元住民が相談し名づけられた[2]。
テレビ・ラジオ中継局
編集1977年10月までは全局が当地より放送を行っていたが、そのうち、NHK釧路放送局の総合テレビと教育テレビ・北海道放送(HBC)・北海道文化放送(UHB)が隣町となる標津町の川北にある妹羅山(しゅらやま)に移転。そのため、地上デジタル放送(地デジ)へ完全移行する2011年7月24日まで、NHK釧路放送局のFM放送・札幌テレビ放送(STV)・北海道テレビ放送(HTB)の中継局が残っていた。なお、同日をもって地デジに完全移行したため、現在はNHK釧路放送局のFM放送だけが残っている。詳細については、中標津中継局を参照。
展望台からの眺め
編集アクセス
編集- 中標津空港から車で15分。
脚注
編集- ^ a b c 小川・栗栖・田宮 2016.
- ^ a b 中標津町史編さん委員会 編『中標津町史』中標津町、1981年、87-88頁。doi:10.11501/9570446 。2023年4月15日閲覧。
参考文献
編集- 小川秀夫、栗栖国安、田宮徹 著、中村純一編 編『ニッポン絶景ロード100』枻出版社〈エイムック〉、2016年4月10日、14-15頁。ISBN 978-4-7779-3980-0。
関連項目
編集- 展望台 - 日本各地の展望台の一覧
外部リンク
編集- 開陽台 - 中標津町