長野県野沢北高等学校

長野県佐久市にある高等学校

長野県野沢北高等学校(ながのけん のざわきたこうとうがっこう)は、長野県佐久市にある公立高等学校。通称「野北(のきた)」、「北高(きたこう)」。

長野県野沢北高等学校
地図北緯36度13分32.6秒 東経138度27分35.4秒 / 北緯36.225722度 東経138.459833度 / 36.225722; 138.459833座標: 北緯36度13分32.6秒 東経138度27分35.4秒 / 北緯36.225722度 東経138.459833度 / 36.225722; 138.459833
過去の名称 長野縣立上田中學校野澤分校
長野縣立野澤中學校
長野縣野澤中學校
国公私立の別 公立学校
設置者 長野県の旗 長野県
校訓 質実剛健・文武両道
設立年月日 1901年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
理数科
学期 2学期制
学校コード D120221700011 ウィキデータを編集
高校コード 20139B
所在地 385-0053
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要

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校名と学生歌が刻まれた碑

1901年に長野県立上田中学校野沢分校として創立した。全日制課程で普通科理数科設置。2013年度より55分間授業となっている。クラブ活動は「班」をもって行われ、「班活」と呼ばれる。近年、進学を優先させるために班活動の時間を削減している。

県内の旧制中学校をルーツとする公立高校によくある伝統として、新入生は入学直後に応援団から応援練習を受けるのが恒例となっている。

2020年3月24日、長野県の少子高齢化に伴う県立高等学校再編計画により野沢南高等学校と再編統合されることが決定した[1]

教育目標

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  • 教養を高め、知性を磨き、心身を鍛え、平和な世界を希求し、社会の有為な形成者となる資質を培う

沿革

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  • 1901年4月1日 - 長野県立上田中学校野沢分校として創立。
  • 1904年4月1日 - 長野県立野沢中学校として独立。
  • 1920年4月 - 長野県令38号により、長野県野沢中学校に改称。
  • 1948年4月 - 学制改革により、長野県野沢北高等学校となる。
  • 1950年4月1日 - 男女共学制となる。
  • 1960年10月1日 - 校歌制定。
  • 1994年4月1日 - 理数科を設置。
  • 2002年4月 - 3学期制を前後期制に改める。
  • 2007年4月 - 再び3学期制に移行。土曜公開授業開始。
  • 2015年4月 - 再び前期後期制に移行。

基礎データ

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アクセス

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象徴

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校章

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桜花と光芒の組み合わせ。

本居宣長の「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山ざくら花」の歌から取られたものである。

校歌・応援歌

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学校行事

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文化祭は「日輪祭」と称し、毎年6月下旬から7月上旬に行われている。4日間にわたって行われ、1日目には各種準備と前夜祭が行われる。2・3日目は1・2学年によるクラス展、3学年による模擬店、吹奏楽班・軽音楽班・音楽班などによる発表、地学班・科学班・生物班などの研究成果の展示、美術班・写真班による作品展示、また「青空ステージ」と呼ばれる生徒参加型の企画が行われる。4日目には合唱コンクールと後夜祭が行われる。合唱コンクール終了後に全校で、ベートーヴェン交響曲第9番ドイツ語による合唱が行われていた。(1988(昭和63)年から2019(令和元)年までの間)[4]後夜祭ではミニ運動会を行い、ファイヤーストームでは弓道班が火矢を射る。そして告白ステージや水掛けといったイベントが毎年行われている。

部活動(班活動)

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高冷地に位置するためスピードスケートが盛んで、かつては高校総体で何度も上位入賞を果たしている。2008年度にはショートトラックの世界ジュニア選手権代表を輩出した。高校総体にも出場し、2種目で優勝と準優勝を達成した。

野球班は1974年第56回全国高等学校野球選手権大会に出場した[5]

陸上班は2007年度秋田わか杉国体少年男子A100メートル、2012年度高校総体女子走高跳に出場した。

学芸班では、将棋・囲碁班が毎年全国大会へ出場し、2008年に準優勝した。

高校関係者と組織

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高校関係者組織

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岳南会館
  • 岳南会 - 旧制野沢中学、野沢北高校の同窓会組織。1906年(明治39年)、第1回卒業生を送り出した直後の4月に発足した。2000年(平成12年)には創立100周年事業として岳南会館を建設した[6]

著名な出身者

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政界

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官界

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学界

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財界・経営者

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軍人・自衛官

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文化・芸術

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スポーツ

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記念物

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岳南会戦没者慰霊碑

創立100周年記念事業として、2001年(平成13年)10月、同窓生戦没者等慰霊記念碑が母校と浅間山を望む貞祥寺境内に建立され、岳南会戦没者等慰霊祭が執り行われている[27]

脚注

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  1. ^ “長野)6校を3校に統合案、上伊那に総合学科・総合技術”. 朝日新聞デジタル. (2020年3月25日). https://www.asahi.com/articles/ASN3S7DKHN3SUOOB002.html 2020年12月21日閲覧。 “伊那北・弥生統合など県立高校再編計画進む”. 長野日報. (2020年9月15日). http://www.nagano-np.co.jp/articles/67302 2020年12月21日閲覧。 
  2. ^ 長野県野沢北高等学校校章・校歌”. www.nagano-c.ed.jp. 2022年3月12日閲覧。
  3. ^ 長野県野沢北高等学校学生歌歌碑”. 株式会社まちクエスト. 2022年12月29日閲覧。
  4. ^ 『野沢北高等学校百二十周年記念誌 真善美 ひたに追いつつ』野沢北高等学校創立百二十周年記念事業実行委員会、2023年2月、80頁。 
  5. ^ バーチャル高校野球 - スポーツブル
  6. ^ 岳南会とは”. 岳南会. 2022年4月24日閲覧。
  7. ^ 小諸東中学・野沢北高校で合唱三昧の日々”. 日本共産党. 2022年12月29日閲覧。
  8. ^ 【11.06.04】20数年ぶり 世代を超えた校歌斉唱”. 日本共産党. 2022年12月29日閲覧。
  9. ^ 『高原の日は輝けり 野沢中・北高史』株式会社櫟、1988年11月22日、557頁。 
  10. ^ a b c 『高原の日は輝けり』株式会社櫟、1988年11月22日、559頁。 
  11. ^ 『高原の日は輝けり 野沢中・北高史』株式会社櫟、1988年11月22日、550頁。 
  12. ^ 『高原の日は輝けり 野沢中・北高史』株式会社櫟、1988年11月22日、477頁。 
  13. ^ ドイツ語学者の学習院長-桜井和市”. 佐久市役所. 2022年12月28日閲覧。
  14. ^ a b c 野沢北高校120周年で記念式典 多彩な卒業生が思い出を語り合う”. 信濃毎日新聞社. 2022年12月28日閲覧。
  15. ^ 依田 憙家”. 早稲田大学. 2022年12月29日閲覧。
  16. ^ a b c 新説 人は高校時代が9割”. 日経BP. 2022年12月29日閲覧。
  17. ^ 宮澤賢治の才能を見い出した童話作家・編集者 木内高音”. 佐久市役所. 2022年12月28日閲覧。
  18. ^ 佐久の洋画のパイオニア 神津港人”. 佐久市役所. 2022年12月28日閲覧。
  19. ^ テノール歌 倉石 真さん”. 株式会社信州広告社. 2022年12月29日閲覧。
  20. ^ 『高原の日は輝けり 野沢中・北高史』株式会社櫟、1988年11月22日、555頁。 
  21. ^ 新海誠監督 信州の風景…美しい描写の源 信毎選賞受賞(2013年10月掲載)”. 信濃毎日新聞社. 2022年12月28日閲覧。
  22. ^ 新海誠さん 長野県立野沢北高 通学中の小海線から見た「天気の子」の空”. 朝日新聞社. 2022年12月29日閲覧。
  23. ^ アンデルセンやムーミンを日本に紹介した詩人 山室静”. 佐久市役所. 2022年12月28日閲覧。
  24. ^ 映画「一陽来復 Life Goes On」 公式ツイッター@lifegoeson2018 2017-09-11のツィートより
  25. ^ 女子500で菊池純礼がV5 ショートトラック全日本距離別選手権第1日”. 信濃毎日新聞社. 2022年12月28日閲覧。
  26. ^ 『高原の日は輝けり』株式会社櫟、1988年11月22日、560頁。 
  27. ^ 2022(令和4)年度岳南会戦没者等慰霊祭を来る6月5日(日)に行います”. 岳南会. 2022年4月23日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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