長谷川 安人(はせがわ やすと、1922年1月17日 - 2001年1月5日[1])は、日本映画監督

経歴

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広島県庄原市出身。1940年京城高等工業学校中退後、新興キネマ大泉撮影所に助監督として入社。1941年満州映画協会に移籍、翌1942年北京・華北電影公司と渡り歩く[2]。同年から応召入隊。

戦後復員し1948年東横映画京都撮影所に助監督として入社。マキノ雅広佐々木康加藤泰らに付く。1963年『柳生武芸帳 片目水月の剣』を初監督。その後『十七人の忍者』『集団奉行所破り』など計六本の劇場用で集団殺陣を活写、とりわけ『十七人の忍者』は「集団抗争時代劇」のはしりとしてカルトムービー化している[2][3]

1965年からテレビに活躍の場を移し『銭形平次』シリーズ230本他、 『大江戸捜査網』『必殺仕事人』『徳川の女たち』などのテレビドラマCM作品を手掛けた[2]

監督作品

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劇場公開映画

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  • 柳生武芸帳 片目水月の剣(1963年)
  • 十七人の忍者(1963年)
  • 右京之介巡察記(1963年)
  • 紫右京之介 逆一文字斬り(1964年)
  • 集団奉行所破り(1963年)
  • 忍法忠臣蔵(1965年)

テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ 『昭和の劇―映画脚本家・笠原和夫』p.85.
  2. ^ a b c 『日本映画テレビ監督全集』p.313-314.
  3. ^ 『キネマ旬報』1997年12月16日号、p.160.

参考文献

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外部リンク

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