長谷川光信
江戸時代中期の大坂の浮世絵師
来歴
編集大坂の人で本名は長谷川庄蔵。柳翠軒、後に松翠軒と号す。西川祐信の画風だが、祐信の門人だったかどうかは定かではない。主に版本の挿絵を描いており、享保6年(1721年)刊行の『花王伊勢物語』に「摂陽大和画師長谷川光信」としてその名が見えるのが、現在確認できる作として最も古い。享保年間に柳翠軒と号して版本の挿絵を手がけたが、その後十二年のあいだ画業が途絶え、延享5年(1748年)以降に松翠軒と号し絵師としての活動を再開している。作画期は宝暦11年(1761年)刊行の『絵本初代草』までが確認されている。ほかに墨摺絵や肉筆美人画の作も残す。
作品
編集- 『鳥羽絵筆拍子』 ※享保9年(1724年)刊行
- 『絵本御伽品鏡』3冊 ※鯛屋貞柳序、享保15年(1730年)刊行
- 『絵本文武敷嶋台』1冊 ※宣春堂菱花序、寛延3年(1750年)刊行。天保7年(1836年)に『英勇画府』と題名を改め再版されており、さらにその後『英勇画譜』と改題されている。
- 『絵本藤の縁』3冊 ※方舟子撰、寛延4年刊行
- 『絵本家賀御伽』(えほんかがみとぎ)3冊 ※栗柯亭木端作、宝暦2年(1752年)刊行
- 『日本山海名物図絵』五巻 ※平瀬徹斎撰、宝暦4年刊行
- 「大江山 酒天童子・源頼光」 細判墨摺絵 ベルギー王立美術館所蔵 ※「摂陽大和絵師 柳翠軒長谷川光信図」の落款あり
- 「くらまの僧正・うしわか」 細判墨摺絵 ベルギー王立美術館所蔵 ※「摂陽大和絵師 柳翠軒長谷川光信図」の落款あり
- 「立姿美人図」 絹本着色 出光美術館所蔵 ※「長谷川光信筆」の落款と「光信」の朱文方印、「河中の なかれにうかふ 手弱女の なかれよるへの すゑにてあるらめ 里興」という画讃あり
- 「天神祭礼船渡御図屏風」 6曲1双屏風 大阪天満宮所蔵 ※伝光信
参考文献
編集- 神楽岡幼子 「長谷川光信の絵本と挿絵本」 『國文學』第六十八号 関西大学国文学会、1991年
- 出光美術館編 『出光美術館蔵品図録 肉筆浮世絵』 平凡社、1988年 ※259頁