長篠城駅
長篠城駅(ながしのじょうえき)は、愛知県新城市長篠字森下にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。
長篠城駅* | |
---|---|
駅舎(2006年8月) | |
ながしのじょう Nagashinojō | |
◄鳥居 (1.5 km) (1.3 km) 本長篠► | |
所在地 | 愛知県新城市長篠字森下19 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | ■飯田線 |
キロ程 | 30.8 km(豊橋起点) |
電報略号 | ナセ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
47人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1924年(大正13年)4月1日 |
備考 | 無人駅 |
* 1943年に長篠古城址駅から改称。 |
当駅は、豊橋駅(愛知県)と辰野駅(長野県)を結ぶJR飯田線の途中駅(中間駅)の一つである。新城市長篠地区に位置する。駅名は、駅付近に位置し、長篠の戦いに関連する城・長篠城にちなむ。
歴史
編集当駅を開設した鳳来寺鉄道は、現在のJR飯田線中南部に当たる大海 - 三河川合間を運営していた私鉄である。この区間開通は1923年(大正12年)のことだが、当駅はそれから1年遅れた翌1924年4月に開設された。当時は「長篠古城址駅」(ながしのこじょうしえき)という駅名を称した。
1943年8月、鳳来寺鉄道は買収・国有化されて国鉄飯田線が成立、それに伴って当駅も国鉄の駅となった。この国有化に伴い、現在の「長篠城駅」へ改称した。1971年(昭和46年)には開業時から行っていた貨物の取り扱いを終了し、旅客専用駅となって1987年4月の国鉄分割民営化を迎えてJR東海に移管された。
年表
編集駅構造
編集単式ホーム1面1線を有する地上駅である。ホームは片側(ここでは南側)のみに線路が接す[単式ホーム(片面ホーム)であり[6]、上下列車双方ともこのホームを使用する。かつてはこのホームの反対側(南側)にさらに1面ホーム(上りホームに相当)があったが、ホーム跡は残るものの線路は撤去されている[6]。
かつては木造駅舎が使用されていたが、城の櫓を模した駅舎に改築された[3][7]。1971年以降無人駅(駅員無配置駅)であり、管理駅(駅長配置駅)である豊川駅の管理下に置かれている[8]。
-
待合室
-
ホーム
停車列車
編集長篠城駅には、豊橋方面(上り)・飯田方面(下り)の双方共1時間当たり概ね1本(ラッシュ時は最大2本)の普通列車が停車する。特急「伊那路」と上りに設定されている快速列車は通過する。
駅周辺
編集隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、99-100頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 桜ヶ丘ミュージアム 編『飯田線展』桜ヶ丘ミュージアム、2003年、100頁。
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』第48巻第4号、電気車研究会、1998年4月、84頁。
- ^ 『TOICA利用エリアの拡大について ~2025年3月15日(土)から利用エリアを拡大します!~』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2024年12月24日。オリジナルの2024年12月24日時点におけるアーカイブ 。2025年1月1日閲覧。
- ^ 『【社長会見】TOICA利用エリアの拡大について』(プレスリリース)東海旅客鉄道、2023年12月21日。オリジナルの2023年12月21日時点におけるアーカイブ 。2023年12月21日閲覧。
- ^ a b 川島令三『中部ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 塩尻駅-名古屋東部、講談社、2010年、34(配線図),75頁。ISBN 978-4-06-270064-1。方角は配線図と実際の地図との対照から補記。
- ^ 笠原香・塚本雅啓『タイムスリップ飯田線』大正出版、2007年、97頁。ISBN 978-4-8117-0657-3。
- ^ 東海旅客鉄道(編)『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年、732,733頁。