長田町 (鹿児島市)
長田町(ながたちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。郵便番号は892-0854[5]。人口は1,626人、世帯数は799世帯(2020年10月1日現在)[6]。長田町の全域で住居表示を実施している[7]。
長田町 | |
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町丁 | |
北緯31度36分10秒 東経130度33分25秒 / 北緯31.602667度 東経130.557056度座標: 北緯31度36分10秒 東経130度33分25秒 / 北緯31.602667度 東経130.557056度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 上町地区 |
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在) | |
人口 | 1,626 人 |
世帯数 | 799 世帯 |
郵便番号 | 892-0854 |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
町字ID[1] | 0120000 |
運輸局住所コード[2] | 46500-0127 |
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地理
編集鹿児島市の中央部に所在している。町域の北方から東方にかけて下竜尾町、冷水町、北方から西方にかけて城山、南方に城山町、小川町がそれぞれ接している。
小川町との境界線上に国道10号が東西に通っている。現在の城山町、城山、新照院町との境界付近にある夏蔭公園付近には大阪商工会議所の初代会頭となった五代友厚誕生地がある[8]。
歴史
編集長田町という地名は明治時代の初期より見え、鹿児島府下のうちであった。
1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地」(内務省告示第1号)によって鹿児島が市制施行地に指定された[9]。3月5日には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村が市制による鹿児島市の区域と定められ[10]、4月1日に市制が施行されたのに伴い、鹿児島郡50町村(山下町、平之馬場町、新照院通町、長田町、冷水通町、上竜尾町、下竜尾町、池之上町、鼓川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町、車町、恵美須町、小川町、和泉屋町、浜町、向江町、栄町、柳町、易居町、中町、金生町、東千石馬場町、西千石馬場町、汐見町、泉町、築町、生産町、六日町、新町、松原通町、船津町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、新屋敷通町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、上之園通町、高麗町、下荒田町、荒田村、西田村、塩屋村)の区域より鹿児島市が成立した[10]。それまでの長田町は鹿児島市の町「長田町」となった[4]。
1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[11]。1965年(昭和40年)7月20日には中央地区で住居表示実施に伴い町の再編が行われ、山下町及び長田町の各一部の区域より城山町が設置され、同時に長田町の一部で住居表示が実施された[11][12]。
1967年(昭和42年)11月1日に上町地区の一部において住居表示が実施され、住居表示の実施に伴い町の再編が行われた[13][11]。これに伴って恵美須町の全域、和泉屋町の一部、車町の一部、下竜尾町の一部、長田町の一部より上本町が新たに設置された。また、同時に長田町の一部で住居表示を実施した[11][13]。翌年の1968年(昭和43年)には一部で住居表示が実施され、長田町全域の住居表示が完了した[11]。
1976年(昭和51年)7月5日に城山地区において住居表示が実施されることとなった[14][15]。住居表示の実施に伴い町域の再編が実施され、城山団地として造成された区域に当たる草牟田町、玉里町、冷水町及び長田町の各一部の区域より、城山一丁目及び城山二丁目が設置された[16][4]。
町域の変遷
編集実施後 | 実施年 | 実施前 |
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城山町(新設) | 1965年(昭和40年) | 山下町(一部) |
長田町(一部) | ||
上本町(新設) | 1967年(昭和42年) | 長田町(一部) |
恵美須町(全域) | ||
和泉屋町(一部) | ||
下竜尾町(一部) | ||
車町(一部) | ||
城山一丁目(新設) | 1976年(昭和51年) | 冷水町(一部) |
草牟田町(一部) | ||
長田町(一部) | ||
玉里町(一部) | ||
城山二丁目(新設) | 長田町(一部) | |
冷水町(一部) |
人口
編集以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[17] | 1,790
|
2000年(平成12年)[18] | 1,909
|
2005年(平成17年)[19] | 1,995
|
2010年(平成22年)[20] | 2,002
|
2015年(平成27年)[21] | 1,853
|
2020年(令和2年)[6] | 1,626
|
施設
編集公共
編集- 夏蔭公園
教育
編集- 興国保育園
寺社
編集- 長田神社
- 高野山最大乗院
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[22]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
長田町 | 1-4 | 鹿児島市立名山小学校 | 鹿児島市立長田中学校 |
35-37 | 鹿児島市立草牟田小学校 | ||
その他 | 鹿児島市立大龍小学校 |
交通
編集道路
編集出身人物
編集脚注
編集- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年7月30日閲覧。
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 471.
- ^ “鹿児島県鹿児島市長田町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年2月14日閲覧。
- ^ a b “国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月10日閲覧。
- ^ “住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月28日閲覧。
- ^ “五代友厚誕生の地”. 鹿児島市. 2010年11月22日閲覧。
- ^ 市制施行地(明治22年内務省告示第1号、明治22年2月2日、 原文)
- ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 3.
- ^ a b c d e 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 742.
- ^ “かごしま市政だより(昭和40年6月号)” (PDF). 鹿児島市 (1965年6月20日). 2020年7月26日閲覧。
- ^ a b “かごしま市政だより(昭和42年12月号)” (PDF). 鹿児島市 (1967年12月5日). 2020年7月26日閲覧。
- ^ “かごしま市民のひろば(昭和51年6月号)”. 鹿児島市 (1976年6月). 2021年1月9日閲覧。
- ^ 南日本新聞 1990, p. 778.
- ^ 町区域の新設及び変更(昭和51年鹿児島県告示第700号、昭和51年6月23日付鹿児島県公報第6946号所収)
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
参考文献
編集- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史Ⅱ』 2巻、鹿児島市、1970年3月25日 。, Wikidata Q111372706
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392