長沼時宗

鎌倉時代の武将。長沼氏2代。従五位下・式部大輔・淡路守。兄に長沼政能。子に長沼時村。

長沼 時宗(ながぬま ときむね)は、鎌倉時代武将

 
長沼時宗
時代 鎌倉時代
生誕 不明
死没 不明
別名 淡路四郎左衛門尉[1]
官位 従五位下式部大輔淡路守[1]
氏族 長沼氏
父母 父:長沼宗政
兄弟 政能時宗
皆川宗員宗泰時村
テンプレートを表示

経歴・人物

編集

寛喜2年(1230年8月13日、父の宗政より下野国長沼荘・小薬郷・御厩別当職、陸奥国南山、美濃国右太郷・五里郷津布良、美作国西大野保内円宗寺、備後国内平野保、武蔵国柏原郷、淡路国守護職・笑原上田両保地頭職、京都および鎌倉の屋敷地を譲与される[1][2][3]。『吾妻鏡安貞2年(1228年)7月23日条、同年10月15日条、嘉禎3年(1237年)4月22日条、同年6月23日条、仁治2年(1241年)11月29日条などに鎌倉幕府御家人として名がみえる[4]

脚注

編集
  1. ^ a b c 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.438(1985)
  2. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『長沼時宗』 - コトバンク
  3. ^ 『皆川文書』長沼宗政譲状「下野国長沼庄、同国小薬郷、同国御厩別当職、陸奥国南山、美濃国右太郷・五里郷・津布良、美作国西大野保内円宗寺、備後国内平野保、武蔵国柏原郷、淡路国守護職、同国地頭職并京・鎌倉屋地等事」
  4. ^ 吾妻鏡