長江裕明
長江 裕明(ながえ ひろあき、1948年3月17日[1] - 2009年2月6日[2]〈60歳没[2]〉)は、日本の冒険家[要検証 ]。三重県生まれ[3]。愛知県育ち[3]。
経歴
編集1948年、三重県桑名郡長島町で生まれた[3]。幼稚園時代を愛知県瀬戸市で[3]、小学生時代から名古屋で育った[3]。
青山学院大学文学部英米文学科卒業[4]。外務省に入省、3年半で退職[5] 。
1978年4月、コンクリート製外洋ヨットの自力建造に着手した[6]。
1981年7月13日、世界一周に向けて親子3人[注釈 1]と乗組員2人で愛知県の常滑港を出航した[7]。25か国[9]、100の港[9]に寄港、約6万km[9]の航海を経て[注釈 2]、1986年4月13日、愛知県の蒲郡港に帰港した[10][11][9]。イギリス、アメリカなどで名誉市民賞を受けた。チャールズ3世(当時皇太子)と面識があり、プライベートで招かれた[要出典]。
1988年、ベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞した[12]。
1989年から1992年にかけて、キャンピングカーで、カナダ、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなどを周った[13][14]。走行距離は約19万kmになった[14]。
1995年、名古屋市に「キャプテンズダイナー / 地球冒険塾事務局」を開設した。また、名古屋工業大学大学院非常勤講師、テレビ、ラジオ、雑誌のレポーターを務めた。
2000年、心臓弁膜症を発症したが、2002年、生体弁を移植手術して回復した[8]。
エリカ号(初代)
編集主要目
編集- ケッチ型、全長13.41m(44フィート)、全幅3.81m、喫水2.1m、自量15.5トン、バラスト6トン、マスト高15m(メイン)・9m(ミズン)[15][16][17]。
- 船体 : 鉄骨のフレームに張った金網に、耐アルカリ性グラスファイバー混合セメントを塗布したコンクリート製[18]。
- エンジン : ヤンマー製ディーゼル機関3気筒74馬力[15][19]。
- 進水 : 1980年6月[18]。
- 船名 : 娘の名前「絵梨佳(えりか)」に因む[18]。
世界一周後
編集その他
編集出演番組
編集- 野遊大全(CBCテレビ)
- 月下暇人(CBCテレビ)
著書
編集- 『地球少女エリカ : 世界一周ヨットのたび』朝日新聞社、1986年6月10日。ISBN 402255519X。
関連書籍
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.423
- ^ a b c 朝日新聞・東京版(朝刊)、2009年2月18日、29面『長江裕明さん死去 : 「エリカ号」親子で世界一周 : 60歳』。
- ^ a b c d e 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 25.
- ^ 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 奥付.
- ^ 朝日新聞・東京版(朝刊)、1980年7月1日、3面『長江裕明 : コスモポリタンをめざして世界を回るためヨットを造った』。
- ^ 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 26-28.
- ^ a b 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 29.
- ^ a b c “【訃報】長江裕明さん死去=手作りヨット「エリカ号」で親子世界一周”. 時事ドットコム : 時事通信社. 2009年2月17日22:52配信。2009年2月18日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c d 朝日新聞・東京版(朝刊)、1986年4月14日、22面『お帰り!エリカ号 : 世界1周、4年9カ月ぶりに帰国』。
- ^ 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 192.
- ^ 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 243-245.
- ^ 朝日新聞・東京版(朝刊)、1988年6月10日、30面『「すてきな父」に5氏』。
- ^ 朝日新聞・東京版(夕刊)、1989年5月22日、14面『「エリカ号」一家、今度は陸の旅 : アラスカ→ヨーロッパ』。
- ^ a b 朝日新聞、1992年11月28日・東京版(朝刊)、東海総合面、21面『陸路で地球半周』。
- ^ a b 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 6-7.
- ^ 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 42.
- ^ 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 158.
- ^ a b c 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 28.
- ^ 自著『地球少女エリカ』 1986, p. 87.
- ^ “さようなら エリカ号”(PDF). 蒲郡市広報紙. 2011年3月号, p.2。2020年5月10日閲覧。