長崎県立佐世保商業高等学校
長崎県佐世保市にある高等学校
長崎県立佐世保商業高等学校(ながさきけんりつ させぼしょうぎょうこうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Sasebo Commercial High School)は、長崎県佐世保市吉岡町に所在する公立の商業高等学校。略称は「佐商」(さしょう)。
長崎県立佐世保商業高等学校 | |
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北緯33度12分21.1秒 東経129度41分57.3秒 / 北緯33.205861度 東経129.699250度座標: 北緯33度12分21.1秒 東経129度41分57.3秒 / 北緯33.205861度 東経129.699250度 | |
過去の名称 |
長崎県立佐世保商業学校 長崎県立佐世保第二工業学校 長崎県立佐世保商業学校(再) 長崎県立佐世保商業高等学校(第一次) 長崎県立佐世保商工業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎県 |
学区 |
全県学区 全国募集あり(若干名) |
設立年月日 | 1923年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
会計ビジネス科 情報マーケティング科 国際コミュニケーション科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D142210000426 |
高校コード | 42112A |
所在地 | 〒857-0143 |
長崎県佐世保市吉岡町863番地3 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 歴史
- 佐世保商業高等学校は1923年(大正12年)に開校した「長崎県立佐世保商業学校」を前身とする。県立の商業学校としては県内で1番目に設置された[1]。1948年(昭和23年)の学制改革で新制高等学校「長崎県立佐世保商業高等学校」が発足したものの、間もなく佐世保工業高等学校と統合され、「長崎県立佐世保商工業高等学校」となる。1951年(昭和26年)に統合を解消し、「長崎県立佐世保商業高等学校」となり、今日に至る。商業学校時代も含めれば、長崎県立の商業高校の中では一番長い歴史を持つ[2]。近年は社会情勢の変化に対応して学科の再編を進めている。図書館を中心として読書活動にも力を入れており、2005年(平成17年)度には読書活動優秀実践校となった。2018年(平成30年)に創立95周年を迎える。
- 設置課程・学科
- 2018年(平成30年)4月に総合ビジネス科が会計ビジネス科・情報マーケティング科の2学科に改編される予定[3]。これに伴い総合ビジネス科の募集は停止される。国際コミュニケーション科は存続され、新学科と合わせ3学科体制となる。
- 全日制課程 2学科
- 校訓
- 「吾人[4]をして最も善良なる生徒たらしめよ」・「開拓者の精神を発揮すべし」 - 1923年(大正12年)に初代校長によって制定。
- 校章
- 学問や学校を表す「ペン先」と未来への飛躍を象徴する「左右対称の翼」の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に「商高」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 作詞は古川喜久郎(補作:坪井盛市)、作曲は岡野貞一による。歌詞は2番まである。
沿革
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- 旧制・商業学校時代
- 1923年(大正12年)4月16日 - 「長崎県立佐世保商業学校」が開校。佐世保市梅田町10-11(現長崎県立佐世保中央高等学校)に校舎を置く。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策[5]により、「長崎県立佐世保第二工業学校」に転換。
- 1946年(昭和21年)4月 - 太平洋戦争の終結により、校名を「長崎県立佐世保商業学校」に戻す。
- 新制・商業高等学校時代
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)に伴い、「長崎県立佐世保商業高等学校」と改称。
- 1949年(昭和24年)
- 2月 - 長崎県立佐世保工業高等学校と統合し、「長崎県立佐世保商工業高等学校」となる[6]。
- 7月1日 - 江迎町立江迎中学校に定時制の江迎分校(修業年限4年/商業科・採鉱科の2学科)を設置[7]。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 長崎県立佐世保商工業高校を統合前の長崎県立佐世保工業高等学校と「長崎県立佐世保商業高等学校」(再)に分割。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 江迎分校に家庭科を設置[7]。
- 1963年(昭和38年)3月31日 - 江迎分校を廃止[7]。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 長崎県立高校の中では初めて情報処理科を設置。
- 1979年(昭和54年)3月26日 - 現在地に移転。
- 実施年不明 - 国際経済科を設置。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 商業科・国際経済科・情報処理科を総合ビジネス科に統合。
- 2003年(平成15年)- 創立80周年記念式典を挙行。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 国際コミュニケーション科を新設。
- 2018年(平成30年)4月 - 総合ビジネス科を会計ビジネス科(2学級)と情報マーケティング科(2学級)の2学科に改編(予定)。
- これに伴い、総合ビジネス科の募集は停止される。新学科と従来の国際コミュニケーション科を合わせ3学科体制となる[3]。
学校行事
編集- 1学期
- 4月 - 入学式、新入生歓迎会、新入生宿泊研修
- 5月 - 1学期中間考査
- 6月 - 高総体
- 7月 - 地区別学校説明会、1学期末考査、終業式、国際コミュニケーション科ホームステイ
- 8月前半 - 平和学習会(9日 長崎原爆の日)中学生1日体験入学
- 2学期
- 8月後半 - 始業式
- 9月 - 体育祭
- 10月 - 2学期中間考査、文化祭
- 11月 - 開校記念日、マラソン大会
- 12月 - 2学期末考査、高1インターンシップ、終業式
- 3学期
- 1月 - 始業式
- 2月 - 高校推薦入試、高3学年末考査、高2修学旅行
- 3月 - 卒業式、高1・2学年末考査、高校一般入試、終業式(修了式)
部活動
編集(2011年(平成23年)6月18日現在)
- 運動部
- 文化部
著名な出身者
編集- 旧制・商業学校時代
- 佐世保商業高等学校
アクセス
編集- 最寄りの駅
- 最寄りのバス停
- 最寄りの国道
脚注
編集- ^ 2番目は1941年(昭和16年)ほぼ同時に開校した長崎県立島原商業高等学校(旧島原商業学校)と長崎県立諫早商業高等学校(旧諫早商業学校)。
- ^ 公立では長崎市が設置した長崎市立長崎商業高等学校の歴史が一番長い。
- ^ a b 平成30年度に学科改編を行う学校について (PDF) - 長崎県ウェブサイト
- ^ 読みは「ごじん」。意味は「私、自分」
- ^ 1943年(昭和18年)10月12日閣議決定)により、県立商業学校(佐世保・諫早・島原)と佐世保市立商業学校を工業学校に転換した。なお長崎市の長崎市立商業学校のみは転換されなかった。
- ^ 米軍長崎軍政府の教育官ウィンフィールド・ニブロの指導によるもの。この時、佐世保市では長崎県立佐世保第一高等学校・長崎県立佐世保第二高等学校・佐世保市立東和高等学校・長崎県立佐世保女子高等学校・佐世保市立成徳高等学校の5校が統合され、長崎県立佐世保北高等学校と長崎県立佐世保南高等学校の2校も発足した。
- ^ a b c 「江迎町郷土誌」(1968年(昭和43年)6月15日発行,江迎町)p.589 - p. 591
参考文献
編集- 経協ながさきニュース12号(2009年(平成21年)5月)(PDF) - 長崎県経営者協会ウェブサイト