長崎町 (下関市)
山口県下関市の地名
長崎町(ながさきちょう[4])は山口県下関市にある地名。郵便番号は750-0029[2]。当地域の人口は2015年の国勢調査によると439人で、世帯数は259[1]。本項目では特筆性の都合上、長崎町付近にある長崎新町(ながさきしんまち[4])、長崎中央町(ながさきちゅうおうちょう[4])、長崎本町(ながさきほんまち[4])、笹山町(ささやまちょう[4])、長門町(ながとまち[4])についても述べる。
長崎町 | |
---|---|
長崎町にある法正院 | |
北緯33度57分28秒 東経130度55分27秒 / 北緯33.95778度 東経130.92417度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 山口県 |
市町村 | 下関市 |
面積 | |
• 合計 | 0.055249 km2 |
人口 (2015年)[1] | |
• 合計 | 439人 |
• 密度 | 7,900人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
750-0029[2] |
市外局番 | 083 |
ナンバープレート | 下関 |
地理
編集下関市の南部付近に存在する。長崎町、長崎新町、長崎中央町、長崎本町、笹山町、長門町全体では北部は山手町と西神田町と桜山町、西部は上新地町と上条町と今浦町、南部は竹崎町と豊前田町、東部は丸山町と関西本町と関西町に隣接する。
歴史
編集地名の由来
編集長崎町はかつて海に面しており、長い海岸線を持った地形であったため、長崎町と呼ばれた[5]。長門町は新しく誕生した際に長門国から採用された[6]。笹山町は文政(1820年代ごろ)皿山という陶器が焼かれていたことにちなむ[7]。
沿革
編集- 文久元年(1861年)日慈上人が法正院の前身となる説教所を設置[8]。
- 明治9年(1876年)京都大本山本圀寺の住職日禎上人を迎えて開山[8]。
- 明治15年(1882年)長門町に検梅所を設置。のちに茶山病院となったが、廃止された[9]。
- 明治36年(1903年)長崎町と茶山町から長門町が下関市の1町として成立[9](この長崎町は現在の長崎町と異なるが、だいたい同じ位置に存在していた。)。
- 大正2年(1913年)鉄道を建設するために竹崎町から法正院を現在の長崎町の位置まで移転[8]。
- 昭和34年(1959年)大坪にあった県立聾学校下関分校が移転。のち、昭和42年(1967年)には現在の古屋町に移転された[9]。
- 昭和44年(1969年)長崎町が大字関後地村から下関市の1町として成立[3]。
- 昭和48年(1973年)長崎中央町が大字関後地村から下関市の1町として成立[3]。
- 昭和50年(1975年)長崎本町が大字関後地村から、長崎新町が大字関後地村と長門町から、笹山町が大字関後地村から下関市の1町として成立[3][7]。
地域区分の変遷
編集町別データ
編集以下のデータは2015年に実施された国勢調査に基づいている[1]。
町丁 | 面積(km2) | 人口 | 世帯数 | 人口密度(人/km2) |
---|---|---|---|---|
長崎町 | 0.055249 | 439 | 259 | 7946 |
長崎新町 | 0.054946 | 457 | 236 | 8317 |
長崎本町 | 0.018760 | 125 | 63 | 6663 |
長崎中央町 | 0.052781 | 106 | 54 | 2008 |
笹山町 | 0.028870 | 180 | 104 | 6235 |
長門町 | 0.031706 | 537 | 322 | 16937 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
町丁 | 番地・号 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
長崎町一丁目 | 1番、2番1~14・20・25~36号、4番1~14号 | 下関市立関西小学校 | 下関市立文洋中学校 |
2番15~19・21~24号、3番、4番15~22号、5~15番 | 下関市立桜山小学校 | ||
長崎新町 | 全域 | 下関市立関西小学校 | |
長崎本町 | |||
長崎中央町 | |||
長門町 | |||
笹山町 | 6番14号以外 | ||
6番14号 | 下関市立王江小学校 | 下関市立名陵中学校 |
施設・史跡
編集出身・ゆかりのある人物
編集脚注
編集- ^ a b c d “人口統計ラボ 山口県下関市”. 2020年2月11日閲覧。
- ^ a b “郵便番号検索 検索結果 > 山口県下関市長崎町”. 日本郵政. 2020年2月11日閲覧。
- ^ a b c d 竹内理三 & 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988, p. 602.
- ^ a b c d e f “郵便番号検索 山口県 > 下関市”. 日本郵政. 2020年2月11日閲覧。
- ^ 下関市教育委員会 2001, pp. 42–43.
- ^ 下関市教育委員会 2001, p. 45.
- ^ a b 竹内理三 & 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988, p. 397.
- ^ a b c d 下関市市史編修委員会 1989, p. 691.
- ^ a b c d e 竹内理三 & 角川日本地名大辞典編纂委員会 1988, p. 613.
- ^ 下関市立小・中学校の通学区域について(DL元) - PDF(2017年4月1日) 2020年2月11日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第14版 上』ア43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年1月18日閲覧。
- ^ 『衆議院要覧 昭和12年11月 乙』6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月16日閲覧。
参考文献
編集- 『衆議院要覧 昭和12年11月 乙』衆議院事務局、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 下関市市史編修委員会『下関市史・終戦―現在』下関市発行、1989年。
- 竹内理三; 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 35 山口県』角川春樹発行、1988年。
- 下関市教育委員会『下関の地名(増補改訂版)』2001年。