長岑 恒範(ながみね の つねのり、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。氏は長峯とも記される。姓は宿禰。右京権大夫・長岑高名の近親か。官位は従五位上・筑前権介。
清和朝初頭に左大史を務め、貞観8年(866年)正月に外従五位下・伊豆守に叙任されるが、まもなく右京権亮として京官に復す。翌貞観9年(867年)正月に筑前権介に任ぜられ、再び地方官に転じた。筑前権介在職中の貞観11年(869年)内位の従五位下に叙せられている。
陽成朝の元慶3年(879年)従五位上に昇叙された。
『日本三代実録』による。