長井戸沼
歴史
編集長井戸沼は、栃木県小山市から始まる宮戸川、大川が流れ込み沼沢をなしていた。古くは常陸川の流頭部に当たっていた。
干拓される以前は沼にて漁業が広く行われていた。主なものとしては鯉・鮒・雑魚(モツゴ・タナゴ類など)・鰻・鯰・鰌・エビ類などが漁獲され、埼玉県北足立郡大宮町や南埼玉郡岩槻町(共に現:埼玉県さいたま市)の料理店などにも卸されていた[1]。
干拓
編集この長井戸沼は長らく水面を有する沼地であったが、近世に至ると沼の周囲がやや開発され、大正時代に入り本格的に干拓地として開発された。1915年(大正4年)7月、茨城県営事業として長井戸沼の干拓事業が立ち上がり、1916年(大正5年)7月に事業促進のため耕地整理組合設立の同意を猿島郡境町・長田村・八俣村・幸島村・桜井村・岡郷村・静村の関係地権者などに求め、茨城県知事に申請書を提出する。同年の1916年(大正5年)11月に干拓事業は着工し、1924年(大正13年)8月に竣工する。
事業後、約460ha(約463町8反3畝10歩)の干拓地が生じ、既存の農地も含めると約866.281ha(約873町5反)の事業面積となった。1924年(大正13年)、干拓され生じた水田などを組合が売却し、組合員一戸当たりの水田保有面積は平均77a(約7反7畝20歩)となった。こうして長井戸沼は水田地帯となり、この後も土地改良がなされていたが、1961年(昭和36年)および1966年(昭和41年)に水害に遭い、水害への対策が講じられるようになる。翌年1967年(昭和42年)5月には排水機場が整備され、現在に至っている[2]。
所在地
編集関連項目・周辺
編集関連項目
周辺
脚注
編集外部リンク
編集- 「茨城縣長井戸沼干拓事業に就いて」 - 竹中二郎 著
- 「彼岸花」 - 境町ホームページ
- 『近世初頭の河川改修と浅間山噴火の影響』 (PDF) - Kubotaホームページ
- 「昔の流れ」 幸手の環境を学ぼう - 幸手市ホームページ
- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
- 現地付近の地形図-今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト