鍛冶町 (横手市)
鍛冶町(かじまち)は、秋田県横手市の町。郵便番号は013-0031[3]。人口は165人、世帯数は76世帯(2020年10月1日現在)[1]。丁目の設定のない単独町名である。全域で住居表示を実施している[4]。
鍛冶町 | |
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町丁 | |
![]() 鍛冶町通り(2024年8月) | |
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国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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地域 | 横手地域 |
人口情報(2020年10月1日現在[1]) | |
人口 | 165 人 |
世帯数 | 76 世帯 |
設置日 | 1966年4月1日[2]。 |
郵便番号 | 013-0031[3] |
市外局番 | 182 |
ナンバープレート | 秋田 |
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地理
編集横手地域の中央部に位置し[5]、東で大町・清川町、西で田中町・前郷一番町、南で平和町、北で四日町と隣接する。
全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[6]。都市計画法上の用途地域では全域が商業地域に指定されている[7]。
沿線には商店などが立ち並び、江戸時代以降から市内を代表する商業地であった大町・四日町[5]の南側[8]に位置する。横手鍛冶町郵便局が置かれている[5]。
歴史
編集近世
編集横手川右岸の朝倉山(通称・お城山)に位置した横手城[9]の城下町として栄えた地域で、現在も横手市の中心市街地の一角を成している[10]。現在の鍛冶町は横手川の左岸、商人や職人が住む「外町」に当たる地域で[11]、江戸時代頃から城下町として形成されていった[12]。当時の横手城下の外町において最南端に位置する町で[11][13]、横手鍛冶町や五日町とも呼ばれた[11][13]。
羽州街道が南方の横手前郷村から田町を経由して[14]この町を縦貫し、北の二日町に至る[13]。二日町は、鍛冶町と大町・四日町に挟まれた場所にあり、1881年(明治14年)の「郡区町村一覧」においては栄通町(さかえとおりまち)[13]、現代の住居表示においては横手市鍛冶町・四日町の一部となっている[8]。羽州街道は二日町に入った後、大町と四日町の二筋に分かれる[8]。現在田中町にある蛭子神社は、天正2年(1574年)にこの二日町の地で建立されたもので、天正19年に類焼により西の田中町へと移転し、再建されたと伝えられている[8]。
鍛冶町と田町の境界(現在の金比羅神社境内[11])には阿弥陀堂があり、そこに羽州街道の一里塚が置かれた[14]。これは幕府からの指示で秋田藩が整備したもので、久保田城の大手門の柱が基点になっている[14]。
近現代
編集住居表示
編集住居表示に関する法律が施行された1962年5月10日以降、旧横手市内においても住居表示が進み、1965年より第一次から第五次にかけて実施された[15]。本地域は第二次地区として1966年4月1日に実施され、現行の鍛冶町はここで誕生した[16]。
実施後 | 実施年月日 | 実施前 | 備考 |
---|---|---|---|
鍛冶町 | 昭和41年4月1日 | 栄通町(一部) さかえとおりまち |
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鍛冶町 かじまち |
世帯数と人口
編集2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
鍛冶町 | 76世帯 | 165人 |
人口の推移
編集以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[17] | 312
|
2000年(平成12年)[18] | 253
|
2005年(平成17年)[19] | 247
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2010年(平成22年)[20] | 225
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2015年(平成27年)[21] | 194
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2020年(令和2年)[1] | 165
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小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[22]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 横手市立横手南小学校 | 横手市立横手南中学校 |
交通
編集鉄道
編集バス
編集道路
編集- けやき大通り
施設
編集-
北日本銀行 横手支店
-
旧よねや鍛冶町店
脚注
編集- ^ a b c d “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat)”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ 横手市史編さん 1981, p. 802.
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2022年3月23日閲覧。
- ^ “住居表示”. 横手市 (2021年9月28日). 2025年1月3日閲覧。
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 789.
- ^ “都市計画区域・区域区分(線引き)”. 横手市 (2021年9月28日). 2025年1月3日閲覧。
- ^ “都市計画図(横手地域)”. 横手市 (2024年3月29日). 2025年1月3日閲覧。
- ^ a b c d 平凡社地方資料センター 1980, p. 230.
- ^ 平凡社地方資料センター 1980, p. 229.
- ^ 平凡社地方資料センター 1980, p. 227.
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 192.
- ^ 横手市 2010, p. 116.
- ^ a b c d 平凡社地方資料センター 1980, p. 231.
- ^ a b c 横手市 2010, p. 131.
- ^ 横手市史編さん委員会 1981, p. 789.
- ^ 横手市史編さん委員会 1981, p. 802.
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2022年8月29日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2022年8月29日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2022年8月29日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2022年8月29日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 05秋田県”. 総務省統計局. 2022年8月29日閲覧。
- ^ “横手市立小中学校通学区域に関する規則”. 横手市. 2022年3月24日閲覧。
- ^ 四日町との境界付近にあり、眼科病院自体は四日町にある
- ^ “施設案内 顧客利便施設こうじ庵”. 横手市. 2022年8月29日閲覧。
- ^ a b スーパーマーケットよねや記念誌編集委員会『スーパーマーケットよねや創業50周年記念誌』よねや商事株式会社、2005年、15頁。