鋳物
概説
編集金属を叩いて気泡を潰したり、結晶を整えたりする鍛造と比べて、鋳造は強度が劣るが、手間がかからない[1]。
このため鋳造は人類が金属の使用を始めた当初から使われた技法で、古代では自然界に純粋な形で産出する金及び精錬が容易な銀、銅、青銅、黄銅等の銅合金が主に用いられた。これらに比べて融点が高い鉄の精錬はかなり難しく、武器としての性質にも優れていたので、人類史上永らく金より高価であった。
現代ではアルミニウム、亜鉛、マグネシウム等の鋳物製品も多数生産されている。
型の材料は古代から砂が用いられ、現代においても砂は最も主要な材料である。ただし、砂だけでは、乾燥すると崩れるので、現在はベントナイトを添加した生型(なまがた。生砂鋳型)のほか、酸硬化性のフラン樹脂や熱硬化性のフェノール樹脂などの粘結剤(バインダー)を加え、崩れにくくした砂型が用いられる。
砂を用いる利点として以下が挙げられる。
- 型の成形が容易である
- 熔けた金属が固まる時にガスを放出するが、砂型は砂粒の間に適度な隙間があり、ガスが速やかに放出される。
- 砂の比熱は小さく、また保温性があるので、流し込んだ金属は急冷される事無く、緩やかに冷却されるので良質の鋳物が出来る。なお、金属の比熱への寄与は、格子[2]よりも電子[3]においてより大きい。
- 製品を型から取り出す時には、簡単に型が崩せるので複雑な造形が可能。
- 使用後の砂型は、砕いた後、成分を調整して再利用が出来る。
なお、砂型を作るために、鋳造しようとする形状を木で作った木型(模型)を用意することが普通。一つの木型から、複数の砂型を作ることができる。造型機を使用した大量生産の場合には金(型模)型を使用する。
金型を使用して重力鋳造した金型鋳造品もあるが、アルミニュウムなどの鉄に比較して融点の低い材料は金型を使用して高圧で鋳造した高圧鋳造、スクイズ鋳造、特に量産品はダイカストによって量産される。
日本の鋳物
編集日本に鋳物技術が伝わったのは弥生時代と推測され、銅鐸や銅鏡、銅剣などが出土している。古墳時代や飛鳥時代以降、各種の器や工芸品、仏像などが作られた。
金属製品やその代替品の大量生産・供給が難しかった江戸時代以前には、各地で鋳物づくりが行われた。岩手県の南部鉄器、富山県の高岡銅器などは、その歴史を受け継ぐ伝統工芸である。埼玉県川口市のように、明治時代以降に、近代的な金属工業として鋳物産業が集積した地域もある[4]。
日本では鋳物師(いもじ)という称号があり、「鋳物師」「鋳物師町」といった地名が各地に残る。朝廷から免許を受けた「御鋳物師」の流れを受け継ぐ16事業者が、現在も「御鋳物師会」を組織して1~2年ごとに交流会を開いている[5]。現代に残る鋳物師としては、鎌倉時代に創業した梵鐘製造の小田部鋳造(茨城県桜川市)、戦国時代に岐阜城下で創業したナベヤなどがある。
脚注
編集参考文献
編集- 板倉勝高「文政11年改諸国鋳物師名寄記」『流通經濟論集』第3巻第1号、1968年、57-68頁。
- 板谷憲次「御鋳物師会と天明鋳物」『素形材』第48巻第10号、素形材センター、2007年、32-35頁、ISSN 0910-1985、 オリジナルの2020年8月1日時点におけるアーカイブ。