鈴江 言一(すずえ げんいち、1894年明治27年)12月31日 - 1945年昭和20年)3月15日[1])は、日本の社会運動家[1]中国研究者[1]、中国革命史家[1]。筆名は王子言王枢之[1]

人物

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島根県飯石郡に生まれる。父は衆議院議員鈴江泰造。家業の破産により苦学する[1]明治大学入学。1918年の米騒動で官権の追捕にあい明大を中退[1]。1919年中国へ渡り、国際通信社北京支局員となり、中国共産党に入る。のち中江丑吉を知り、北伐が始まると武漢地区に潜入、その経験をもとに1929年『中国無産階級運動史』、1931年『孫文伝』(王枢之の筆名)を発表。

1942年に治安維持法違反で逮捕される。間もなく釈放されたが、1945年に結核のため死去した。

著書

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  • 『支那革命の階級対立』大鳳閣、1930
  • 『偉人伝全集 孫文伝』王枢之 改造社、1931
  • 『中國無産階級運動史』南満洲鉄道株式会社庶務部調査課編 南満洲鉄道、1929
    • 改題『中国解放闘争史』石崎書店、1953
共編

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 鈴江 言一とはコトバンク。2014年3月26日閲覧。