鈴木重武
鈴木 重武(すずき しげたけ)は、平安時代中期の武将。穂積姓、藤白鈴木氏の当主。父は重実、母は侍従・藤原定時の娘。官位は掃部允。
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 天禄3年(972年) |
死没 | 永承7年9月15日(1052年10月10日) |
別名 | 鈴木庄司 |
官位 | 掃部允 |
主君 | 中原成道 |
氏族 | 穂積氏流藤白鈴木氏 |
父母 | 父:鈴木重実、母:侍従・藤原定時の娘 |
兄弟 | 重武、基安、倫安、基兼 |
妻 | 眞砂清行の娘 |
子 | 重康、重孝、重親、女子(田屋権大夫室) |
長元元年(1028年)の6月に前上総介・平忠常が謀反を起こした際、追討のため中原成道に随行して東国に下向した。永承7年(1052年)9月15日に81歳で没した。
系譜
編集参考文献
編集- 穂積姓鈴木氏: 紀州德川二七〇年鈴木家系譜(鈴木淳介、1982)
- 古代氏族系譜集成/中巻(宝賀寿男)