鈴木 猛史(すずき たけし、1988年5月1日[1] - )は、日本アルペンスキー選手、チェアスキーヤーKYB株式会社経営企画本部広報部所属[1][2]

獲得メダル

鈴木猛史
日本の旗 日本
パラリンピックのアルペンスキー
2010 座位(GS)
2014 回転 座位
2014 座位(滑降)
障害者アルペンスキーワールドカップ
2011-2012年シーズン 座位総合成績
2012-2013年シーズン 座位総合成績
2012-2013年シーズン 種目別総合成績(SL)

来歴

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福島県耶麻郡猪苗代町出身[3]。小学2年生のときに交通事故に遭い、両大腿を切断。3年への進級後にチェアスキーを始め、中学在学中の2003年にアルペンスキー世界選手権への初出場を果たす[2][4]

福島県立猪苗代高等学校[5]在学中の2006年に行われたトリノパラリンピックより、冬季パラリンピックアルペンスキー競技に4大会連続で出場する。高校を卒業後には駿河台大学文化情報学部[6]へ進学するが、親元を離れての乱れた食生活と慢心により一時スランプに陥る[4]。一念発起して食生活の改善とトレーニングに乗り出してからは調子を取り戻し、2010年のバンクーバーパラリンピックで男子座位大回転銅メダルを獲得[2][4]。また、大学所在地の自治体である埼玉県から彩の国功労賞を受賞した。

2011年春に駿河台大学を卒業した後も、大学職員になって現役続行する[4][6]。2011-2012シーズンの障害者アルペンスキーワールドカップの男子座位で、森井大輝に続く総合順位2位に入賞。2012-2013シーズンの障害者アルペンスキーワールドカップの男子座位で、森井を上回る総合順位1位と種目別総合順位1位に入賞する。

2014年3月8日、ソチパラリンピックのアルペンスキー男子滑降において3位となり、銅メダルを獲得[7]。また同年3月13日、同じくソチパラリンピックのアルペンスキー男子回転において1位となり、金メダルを獲得した。3月13日は17年前に鈴木が交通事故に遭った日でもあり、事故の悲劇を金メダルの喜びに変えたという不思議な縁を感じさせた。同年春の叙勲で紫綬褒章を受章する[8]

2015年7月31日付で駿河台大学を退職し、同年8月1日付でカヤバ工業(後のKYB)に入社。ヘッドスポンサーもカヤバとなる。

2018年、平昌パラリンピックのアルペンスキー男子スーパー複合、大回転において4位に入賞する。

主な記録

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脚注

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  1. ^ a b 企業情報 | KYB Sponsorship”. KYB. 2019年9月21日閲覧。
  2. ^ a b c ピョンチャンパラリンピックの金メダルを目指して” (PDF). KYB技報 第53号. pp. 61-62 (2016年). 2019年9月21日閲覧。ダウンロード元ページ:https://www.kyb.co.jp/technical_report/2016.html
  3. ^ 鈴木 猛史”. パラサポWEB(運営:日本財団パラリンピックサポートセンター). 2019年9月21日閲覧。
  4. ^ a b c d 鈴木 猛史<アルペンスキー>”. SPORTRAIT(執筆当時の運営者:凸版印刷) (2016年). 2019年9月21日閲覧。
  5. ^ 鈴木 猛史”. Facebook. 2019年9月21日閲覧。
  6. ^ a b ソチパラリンピックの日本代表選手に本学の鈴木猛史職員が内定しました”. 駿河台大学 (2013年6月17日). 2019年9月21日閲覧。
  7. ^ “狩野が金、鈴木が銅=アルペンスキー男子滑降座位-ソチ”. 時事通信. (2014年3月8日). http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2014030800296 2014年3月8日閲覧。 
  8. ^ 春の褒章684人・23団体 ソチ五輪金メダル羽生さんら”. 日本経済新聞 (2014年4月28日). 2023年5月11日閲覧。

外部リンク

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