鈴木春松
鈴木 春松(すずき はるまつ、1886年(明治19年)10月28日[1] - 1968年(昭和43年)9月30日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]。
鈴木 春松 | |
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生誕 |
1886年10月28日 日本 神奈川県 |
死没 | 1968年9月30日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1908年 - 1940年 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1886年(明治19年)に神奈川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第20期、陸軍大学校第27期卒業[1]。1932年(昭和7年)8月8日、陸軍歩兵大佐進級と同時に丸亀連隊区司令官に着任[2]。1933年(昭和8年)9月に歩兵第61連隊長に転じ[2]、1935年(昭和10年)3月に陸軍戸山学校幹事に就任した[2]。
1937年(昭和12年)3月1日に陸軍少将進級と同時に近衛歩兵第2旅団長に着任[1][2]。1938年(昭和13年)7月に第17歩兵団長(中支那派遣軍・第13軍・第17師団)に転じ[1]、日中戦争に出動[1]。武漢作戦では鈴木支隊を率いて戦い[1]、作戦終了後は蘇州・徐州を根拠地とし[1]、各種作戦に参加した[1]。1939年(昭和14年)8月1日に陸軍中将に進級と同時に留守第20師団長に就任し[1][2]、1940年(昭和15年)1月23日に待命[1]、1月31日に予備役に編入された[1]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され、横浜連隊区司令官兼横浜地区司令官に就任した[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。