鈴木明良
日本の実業家、政治家
鈴木 明良(すずき あきら、1909年(明治42年)2月8日[1] - 1985年(昭和60年)9月6日[2][3])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。落選後は詐欺を生業とし、「M資金事件」の立役者と言われた[4]。
鈴木 明良 すずき あきら | |
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生年月日 | 1909年2月8日 |
出生地 | 茨城県結城郡江川村(現在の結城市) |
没年月日 | 1985年9月6日 |
所属政党 |
(日本進歩党→) (民主党→) (無所属/民主クラブ→) (民主自由党→) 自由党 |
選挙区 |
旧茨城県選挙区(大選挙区)→ 旧茨城3区 |
在任期間 | 1946年4月11日 - 1952年8月28日 |
経歴
編集茨城県結城郡江川村(現在の結城市)出身[4]。1928年、茨城県立下妻中学校を卒業[2]。岩佐鉄工所営業部長、朝日海運取締役社長、明商株式会社社長などを務めた[2]。
1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で旧茨城県選挙区から出馬して当選し、その後第24回総選挙まで連続3回の当選を果たした[2]。この間、日本進歩党情報部長、民主党総務、民主自由党総務、衆議院内閣委員長などを歴任した[2]。
1952年の第25回総選挙で落選し、同時に選挙違反で逮捕された。
1960年、詐欺で逮捕されたが、起訴猶予。1964年に破産宣告を受けた。1968年、3,500万円の手形詐欺を働く。1969年、逮捕。1973年、最高裁で懲役2年の実刑が確定。病気を理由に何度も刑執行停止で刑務所の外に出るが、交番で寸借詐欺を働いたこともあった[4]。1985年9月6日、収監中の八王子医療刑務所で死去した[3][5]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 安田雅企『追跡・M資金 : 東京湾金塊引揚げ事件』三一書房、1995年。
- 「ロ事件・裁判関係者の鬼籍簿」『朝日新聞』(東京本社発行)1987年7月25日、朝刊10頁。
議会 | ||
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先代 小川原政信 (代理) |
衆議院内閣委員長 1949年 - 1950年 |
次代 木村公平 |