鈴木健二の人間テレビ
『鈴木健二の人間テレビ』(すずきけんじのにんげんテレビ)は、1989年4月2日から同年9月24日まで日本テレビ系列局[1]と当時フジテレビ系列に属していた山形テレビ(YTS[2])で放送されていたトーク番組である。読売テレビとNEXUSの共同製作。全16回。
鈴木健二の人間テレビ | |
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ジャンル | トーク番組 |
出演者 |
鈴木健二 松居直美 |
ナレーター | モノラル放送 |
製作 | |
制作 |
読売テレビ NEXUS |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1989年4月2日 - 1989年9月24日 |
放送時間 | 日曜 19:00 - 19:30 |
放送分 | 30分 |
回数 | 16 |
概要
編集司会の鈴木健二が各回のゲストとともにトークをしていた番組で、毎回トークのテーマを人間に定めて行われていた。鈴木が1988年にNHKを退職して以来の、初の民放司会番組となった。その他のレギュラーとして松居直美も出演していた。
放送時間は毎週日曜 19:00 ‐ 19:30 (日本標準時)だったが、プロ野球ナイター中継がある日には放送を休止していた。鈴木は、視聴率不振による番組打ち切りとナイター偏重による度重なる放送休止(後述の通り「3週連続ナイター」が2回)に激怒し、最終回収録をボイコットして番組スタッフに「低視聴率は当初より予想されたもの。それが半年で打ち切り。局、代理店との信頼関係が崩れた今、番組を続けることは不可能だ」との「怒りのメッセージ」を配布した[3]。ただし、鈴木はプロ野球・読売ジャイアンツファンであり[4]、『巨人が強けりゃ文句なし!』『巨人が強けりゃこの世は極楽!』などの著書もある。
それ以来、鈴木はテレビ番組への出演率が激減した。鈴木不在の最終回では総集編「面白ハイライト集」が放送された[3]。
テーマ・ゲスト
編集回数 | 放送日 | テーマ | ゲスト |
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1 | 4月2日 | 呪い | ケント・デリカット |
2 | 4月9日 | 怒る | 蜷川幸雄 |
3 | 5月7日 | 遊び | 三宅裕司 |
4 | 5月14日 | 洗う | 喜多嶋舞 |
5 | 5月21日 | 探す | |
6 | 5月28日 | 走る | |
7 | 6月11日 | 選ぶ | |
8 | 6月25日 | 愛する | 春風亭小朝 |
9 | 7月2日 | 顔 | |
10 | 7月9日 | ご飯 | |
11 | 7月23日 | 占う | 泉アツノ |
12 | 7月30日 | 水着 | |
13 | 8月6日 | だます | 高見恭子 |
14 | 8月13日 | 電話 | |
15 | 9月10日 | 待つ | |
16 | 9月24日 | 面白ハイライト集 |
脚注
編集- ^ 当時、テレビ朝日系列とのクロスネット局であった山形放送(YBC)を除く。一方、同じクロスネット局ながら、青森放送(RAB)・テレビ信州(TSB)・福井放送(FBC)・山口放送(KRY)・テレビ長崎(KTN)・テレビ大分(TOS)・テレビ宮崎(UMK)・鹿児島テレビ(KTS)の各局ではキー局同時ネットで放送されていた。
- ^ YBCが本来の系列局でありながら、当時テレビ朝日系の番組を同時ネットしていた関係によるもの。
- ^ a b ザテレビジョン 1989年9月22日号 p.43「THE REPORT『鈴木アナ、突然の番組ボイコット!局の反応は?』」
- ^ 1985年の『第36回NHK紅白歌合戦』内で行われた同年の阪神タイガース日本一祝福コーナーの終了後にこの旨を述べた。
日本テレビ系列 日曜19:00枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
邦子のスター生たまご
(1988年10月9日 - 1989年3月26日) |
鈴木健二の人間テレビ
(1989年4月2日 - 1989年9月24日) |
シティーハンター3
(1989年10月15日 - 1990年1月21日) |