鈴木伝五郎
鈴木 伝五郎(傳五郎、すずき でんごろう、1857年(安政4年11月[1][2][注 1])- 1910年(明治43年)11月1日[1][2])は、明治期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。名・義和、字・子幹、通称・伝五郎[3]。号・東洋、白雲洞[3]。
経歴
編集讃岐国香川郡高松城下南新町(現香川県高松市南新町)で、豪商「伏石屋」(ふせいしや)鈴木義方の息子として生まれる[3][4]。絵師・中山愛山から墨竹画を学んだ[3][4]。
1875年(明治8年)十河権三郎、川崎舎竹郎、富山甚三郎、中野滝次郎、佐々木清三らと博文社を設立し兵庫町85番戸に新聞縦覧所を設け[4]、自由民権運動に加わる[1][3]。1877年(明治10年)高松立志社を組織して[1][4]各所で演説会を開催し、板垣退助と交流した[3]。1881年(明治14年)8月、香川県初の新聞『腰抜新聞』を創刊したが[1][4]、一年後に廃刊となる[3]。
愛媛県勧業諮問会員、同県山田・香川両郡所得調査委員、高松市会議員などを務め[2]、1890年(明治23年)9月29日、貴族院多額納税者議員に就任し[1][2][4][5]、1897年(明治30年)9月28日の任期満了まで1期在任した[2]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『香川県大百科事典』531頁では万延元年(1860年)。
出典
編集参考文献
編集- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『香川県大百科事典』四国新聞社、1984年。
- 『郷土歴史人物事典 香川』第一法規出版、1978年。