鈴屋学会(すずのやがっかい)は、日本学術研究団体の一つ。

すずのやがっかい
鈴屋学会
主な活動拠点となっている本居宣長記念館
主な活動拠点となっている本居宣長記念館
主な活動拠点となっている本居宣長記念館
専門分野 人文学
設立 昭和59年(1984年)12月
前身 国学懇話会
鈴門研究会
事務局 日本の旗 日本
515-0073
三重県松阪市殿町1536-7
本居宣長記念館
刊行物 『鈴屋学会報』
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概要

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学会の名称は宣長の鈴屋」に由来する[1][2]。元々「鈴屋」は宣長の書斎の名前であったが、後に宣長自身が屋号として使用するようになった[3]。門人たちも宣長のことを「鈴屋の大人」と呼んでいたという[2]

本居宣長とその周辺および国学研究の進展と相互の連絡を図ることを目的として、昭和59年(1984年)に発足した[1][注 1]事務局本居宣長記念館に置かれている[2]

学術研究団体としての種別は単独学会[5]平成19年(2007年4月9日付で日本学術会議協力学術研究団体の指定を受けた[6][7]

沿革

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宣長の地元である三重県松阪市において、宣長に対する景仰の念は厚く、その顕彰活動には並々ならぬものがあった。例えば没後100年を迎えた明治34年(1901年)には、11月4日から11月6日にかけて「本居宣長翁百年祭」が町を挙げて開催された[8]。また、明治42年(1909年)には、保存と公開を目的に宣長の旧宅松坂城二の丸跡地に移築され[注 2]、宣長在世当時の姿形に復元された[10][注 3]。さらに、大正4年(1915年)に四五百森へと遷座した山室山神社が[12]、昭和6年(1931年)に「本居神社」と改称した[13][注 4]。また、昭和45年(1970年)には、永年にわたって本居家に収蔵されてきた宣長関係資料[注 5]が松阪市に寄贈されたことを契機に、旧宅に隣接して本居宣長記念館が開館した[15][注 6]

こうした状況下において、次第に研究の場としての「学会」設立の機運が高まり、岡本勝らによる「国学懇話会」と、鈴木淳らによる「鈴門研究会」が、昭和57年(1982年)の合同研究において具体化し、昭和58年(1983年)に「鈴屋学会準備委員会」を結成して関係方面に呼びかけた[1]。その反響は大きく、入会者はわずか1、2ヶ月の間に優に100人を超過し、専攻も国語学国文学歴史学民俗学宗教学神話学倫理学思想史など、諸分野にわたっていたという[1][2]。これは宣長の学問の広さを考えれば当然のことであろうが、翻ってみれば、学会に寄せられる期待が多様かつ多大ということでもある[2]

発会式を兼ねた第1回大会は、昭和59年(1984年)12月の15日と16日に、本居宣長記念館で開催された[1][注 7]

活動・事業

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学術大会の開催

昭和59年(1984年)12月の発会式を兼ねた開催以後、「鈴屋学会大会」として年1回の頻度での開催を重ねている[17]。後援は松阪市教育委員会。内容としては公開講演と研究発表が執り行われている[17][注 8]。なお、第2回から第6回までは11月に開催されていたが、第7回以降は4月開催である[17]

学会誌の発行

昭和60年(1985年)から、上記の大会と同じく年1回の頻度で、査読付き論文を含む学術雑誌鈴屋学会報』を発行している[5][17]。国学に関するほぼ唯一の専門学会誌であるが[23]、それ故に本文の表記が歴史的仮名遣でなく現代仮名遣いであることには、少なからず批判の声もある[24]。なお、購読は無料で、クリエイティブ・コモンズは定めていない[5]

公開講座の開講

平成2年(1990年)から、宣長の全貌を市民にも広く知ってもらうことを目的とした講座宣長十講」を開講している[25][注 9]。後援は同じく松阪市教育委員会。年度ごとに月1回の進度で計10回も行われており、学会員を中心に講師を招いて、最新の宣長研究に関する話のみならず、宣長の生涯や業績のほか、宣長を育んだ松阪文化について講義している[25]

脚注

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注釈

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  1. ^ 同年には静岡県浜松市で賀茂真淵記念館が開館しており、昭和60年(1985年)に本居宣長記念館と友好提携を結んだ[4]
  2. ^ 当初は山室山神社境内(現・松阪市役所の周辺)が予定されていた[9]
  3. ^ これに先立ち、9月30日本居豊穎より遺墨遺品6点が寄託された[11]10月4日には本居清造より103点が寄託された[11]。なおこの年には第57回式年遷宮が執り行われている[11]
  4. ^ 平成7年(1995年)に本居宣長ノ宮と改称している[14]
  5. ^ 実子である本居春庭の子孫の家に伝わった資料のみならず、養子である本居大平の子孫の家に伝わった資料なども含む。
  6. ^ 開館した11月5日は宣長の命日にあたる旧暦の9月29日である[16]
  7. ^ 足立巻一による記念講演のほか、5名の研究発表が行われた[4]。ちなみに足立は鈴屋学会第1号会員でもある[4]
  8. ^ 令和2年(2020年)は新型コロナウイルス感染症の流行により大会自体が中止となったが[18]、令和3年(2021年)と令和4年(2022年)は研究発表のみをZoomによるリモートで開催し[19][20]、令和5年(2023年)から対面で講演と研究発表を開催した[21][22]
  9. ^ 前身として昭和61年(1986年)から開講していた「月例懇話会」がある[4]。その細目は鈴屋学会のあゆみ (1994)に記載されているが、これには幾つかの記載ミスがある[4]

出典

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  1. ^ a b c d e 「「鈴屋学会」が発足 本居宣長を総合的に研究 「宣長学」の確立目指さうと」『神社新報』昭和60年1月28日付(3面)
  2. ^ a b c d e 岩田隆「「鈴屋学会」のこと 松阪に「宣長」敬愛深く」『中部読売新聞』昭和60年5月17日付(17面)
  3. ^ 本居宣長記念館 (2001), p. 226(吉田悦之「鈴屋」)
  4. ^ a b c d e 本居宣長記念館 (2018), p. 48.
  5. ^ a b c 機関詳細 - 鈴屋学会”. 学会名鑑. 2024年4月1日閲覧。
  6. ^ 日本学術会議協力学術研究団体一覧”. 日本学術会議. 2024年4月1日閲覧。
  7. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 58.
  8. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 29.
  9. ^ 本居宣長記念館 (2001), pp. 240–241(鈴木香織「本居宣長旧宅」
  10. ^ 本居宣長記念館 (2022), p. 4.
  11. ^ a b c 本居宣長記念館 (2018), p. 31.
  12. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 32.
  13. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 36.
  14. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 52.
  15. ^ 本居宣長記念館 (2018), p. 44.
  16. ^ 田中康二 (2012), p. 224.
  17. ^ a b c d 本居宣長記念館 (2018), pp. 48–65.
  18. ^ 「彙報」『鈴屋学会報』第37号、鈴屋学会、令和2年12月、95頁。
  19. ^ 「彙報」『鈴屋学会報』第38号、鈴屋学会、令和3年12月、59頁。
  20. ^ 「彙報」『鈴屋学会報』第39号、鈴屋学会、令和4年12月、80頁。
  21. ^ 「彙報」『鈴屋学会報』第40号、鈴屋学会、令和5年12月、62頁。
  22. ^ 「鈴屋学会、4年ぶり開催」『夕刊三重』令和5年4月17日付(7面)
  23. ^ 田中康二 (2022), p. 67.
  24. ^ 中澤伸弘 (2011), pp. 65–66.
  25. ^ a b 本居宣長記念館 (2018), pp. 50–65.

参考文献

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図書
  • 田中康二『国学史再考:のぞきからくり本居宣長』新典社〈新典社選書〉、2012年1月。ISBN 978-4-7879-6797-8 
  • 本居宣長記念館 編『本居宣長事典』東京堂出版、2001年12月。ISBN 4-490-10571-1 
  • 鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館 編『本居宣長年表:(稿)』本居宣長記念館、2018年3月。 
  • 鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館 編『本居宣長の不思議』(令和版)鈴屋遺蹟保存会本居宣長記念館、2022年6月。 
論文
  • 中澤伸弘「鈴屋學會と假名遣」『國語國字』第195号、國語問題協議會、2011年7月、63-66頁。 
  • 田中康二「〈書評〉國學院大學日本文化研究所編『歴史で読む国学』」『鈴屋学会報』第39号、鈴屋学会、2022年12月、65-72頁。 
その他
  • 「鈴屋学会のあゆみ」『鈴屋学会報』第11号、鈴屋学会、1994年12月、104-92頁。 

関連文献

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関連項目

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外部リンク

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