釜島
釜島(かましま)は岡山県倉敷市下津井[3][4][5][6]に属する無人島である。水島諸島(児島諸島)に属する。かつては有人島であったが、無人島化している。
釜島空撮(2019年) | |
地理 | |
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場所 | 瀬戸内海(水島灘) |
座標 | 北緯34度25分21秒 東経133度49分56秒 / 北緯34.42250度 東経133.83222度座標: 北緯34度25分21秒 東経133度49分56秒 / 北緯34.42250度 東経133.83222度 |
諸島 | 水島諸島 (児島諸島) |
面積 | 0.40 km2 (0.15 sq mi)[1][2] |
海岸線 | 3.2 km (1.99 mi)[1][2] |
最高標高 | 43 m (141 ft)[2] |
行政 | |
都道府県 | 岡山県 |
市町村 | 倉敷市 |
大字 | 下津井 |
人口統計 | |
人口 | 0(2021年時点) |
追加情報 | |
時間帯 |
概要
編集鷲羽山南側の久須美の鼻の南方約1km沖にある三角形の無人島[7]。面積0.40km2、周囲約3.2km[1][2]。最高標高は43m[注釈 1][2]。島内からは、縄文土器及び弥生土器に加えて、古墳群が発見されており、古くより人が居住していたと考えられる[1]。
平安時代中期、釜島には天慶の乱にて藤原純友が都落ちしてきた。藤原純友は釜島に城を構え、天慶2年(939年)2月に官軍大将の藤原倫実の船隊を打ち破ったという記録が『前太平記』にある。島内にはこの際の城跡や塩釜神社の跡が残っている[1]。江戸時代中の1646年(正保3年)より、岡山藩に所属することとなった[1]。同時代の書物『吉備温故秘録』には、田畑1町8反、家数1軒、男女8人との記録がある。その後も人口の少ない有人島であったが、1906年(明治39年)には、筆海小学校の分教場が設置される[注釈 2][9]。第二次世界大戦後に多くの入植者がおり、1955年(昭和30年)に児島市立下津井中学校の分校が設置された[注釈 3][10]。1959年(昭和34年)当時の小学校の児童数は14名、へき地等級3級であった[2]。小学校の分校は、浜から200m程度の位置にあった[11]。昭和30年代末頃には、夏季の海水浴客を中心に年間で1万人近い来島者がいたという[1]。しかし、その後急速に住人の流出が進み、1970年(昭和45年)に中学校の分校[注釈 4]が休校[10]、1972年(昭和47年)に小学校の分校[注釈 5]も休校となった[9]。そして1980年(昭和55年)の国勢調査時点で無人島化している[7]。1986年(昭和61年)より、夏季のみ期間営業の民宿と茶屋が開かれたが、そちらも後に閉鎖され、現在に至るまで無人のままである[1][7]。また休校となっていた小中学校も、1979年(昭和54年)に小学校の分校が正式に廃校となり[注釈 6][9]、それから10年後の1989年(平成元年)には、中学校の分校も正式に廃校となった[注釈 7][10]。現在は、下電ホテルが島を管理をしている[12]。
『日本廃村百選 - ムラはどうなったのか』の著者・浅原昭生は、2008年(平成20年)と2009年(平成21年)に来島し、島内に残る塩釜神社、民宿跡、分校跡を訪れている[13]。
福田晴一が監督した『二等兵物語 死んだら神様の巻』(1958年(昭和33年)公開)のロケ地でもあった[1]。
島内には海水浴場があるものの、設備は無いため必要な機材は全て持ち込みとなる[7]。
交通
編集島へ渡るためにはチャーター便を利用する必要がある[7]。
注釈
編集- ^ 文献によっては、最高標高を28mとするもの[1]もあるが、国土地理院の地形図[8]でも標高30mを超える地点が記載されている。
- ^ 後に、下津井町立下津井尋常小学校(1908年(明治41年):改称)、下津井町立下津井尋常高等小学校(1931年(昭和6年):改称)、下津井町立下津井国民学校(1941年(昭和16年):改称)、児島市立下津井小学校(1948年(昭和23年):改称)、児島市立下津井西小学校(1958年(昭和33年):下津井小学校廃校後の新設)、倉敷市立下津井西小学校(1967年(昭和42年):改称)と、本校が変遷している[9]。
- ^ 1967年(昭和42年)に、本校が倉敷市立下津井中学校と改称され、同校の分校となった[10]。
- ^ 休校当時は、倉敷市立下津井中学校釜島分校であった[10]。
- ^ 休校当時は、倉敷市立下津井西小学校釜島分校であった[9]。
- ^ なお同時に、同じく水島諸島の島である六口島にあった倉敷市立下津井西小学校六口島分校も正式に廃校となった[9]。
- ^ なお同時に、同じく水島諸島の島である六口島にあった倉敷市立下津井中学校六口島分校も正式に廃校となった[10]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j 公益財団法人日本離島センター 編『新版SHIMADAS』公益財団法人日本離島センター、2019年、373頁。ISBN 978-4-931230-38-5。
- ^ a b c d e f 浅原昭生『日本廃村百選 - ムラはどうなったのか』秋田文化出版、2020年、188頁。ISBN 978-4-87022-589-3。
- ^ “地理院地図 / GSI Maps”. 国土地理院. 2021年10月13日閲覧。
- ^ “「岡山県倉敷市下津井」の地図”. マピオン. 2021年10月13日閲覧。
- ^ “34.4206341,133.8347673”. Googleマップ. 2021年10月13日閲覧。
- ^ “岡山県倉敷市下津井”. Yahoo!地図. 2021年10月13日閲覧。
- ^ a b c d e “岡山県の離島 - 釜島 -”. 岡山県. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月7日閲覧。
- ^ “地理院地図 / GSI Maps”. 国土地理院. 2024年9月2日閲覧。
- ^ a b c d e f 倉敷市立下津井西小学校; 倉敷市教育委員会. “令和元年度学校沿革史” (PDF) (日本語). 倉敷市立下津井西小学校公式ウェブサイト. 2021年10月13日閲覧。
- ^ a b c d e f 倉敷市立下津井中学校; 倉敷市教育委員会. “平成30年度学校沿革史” (PDF) (日本語). 倉敷市立下津井中学校公式ウェブサイト. 2021年10月13日閲覧。
- ^ 浅原昭生『日本廃村百選 - ムラはどうなったのか』秋田文化出版、2020年、189頁。ISBN 978-4-87022-589-3。
- ^ “無人島(釜島(カマシマ))でキャンプをしたいのですが?”. 倉敷市コールセンター. 2013年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月7日閲覧。
- ^ 浅原昭生『日本廃村百選 - ムラはどうなったのか』秋田文化出版、2020年、188-9頁。ISBN 978-4-87022-589-3。