金長生
金長生(きん ちょうせい、キム・チャンセン、朝鮮語:김장생)は、李氏朝鮮の学者である。字は希元、号は沙渓、諡号は文元。本貫は光山金氏。
金長生 | |
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김장생 | |
金長生 | |
君主 | 光海君 |
個人情報 | |
発音 | キム・ジャンセン |
生誕 | 1548年7月8日 朝鮮国漢城府 |
死没 | 1631年8月3日(83歳没) 朝鮮国忠清道連山県 ( 大韓民国忠清南道論山市) |
死因 | 病死 |
国籍 | 朝鮮国 |
政党 | 老論派 |
配偶者 | 昌寧曺氏夫人 順天金氏夫人 |
親戚 | 光山金氏 |
親族 | 朝鮮民族 |
宗教 | 儒教(宋明理学) |
金長生 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김장생 |
漢字: | 金長生 |
発音: | キム・チャンセン |
日本語読み: | きん ちょうせい |
ローマ字: | Kim Jang-saeng |
概要
編集1548年、金継輝の子として生まれる。宋翼弼、李珥の門人で、子の金集とともに礼学の大家とされる。学行により推挙されて任官し、日本や後金の侵入の際には軍糧米調達に活躍したが、晩年は郷里で教育に専心し、門人に宋時烈、宋浚吉等を輩出して畿湖学派の主流をなした。著書には朱熹の『家礼』に関する諸家の学説を編集した『家礼輯覧』や、『近思録釈意』等がある。1631年に亡くなる。