金相煥
韓国のサッカー選手
金 相煥(キム・サンファン、1969年3月25日 - )は、大韓民国の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
カタカナ | キム・サンファン | |||||
ラテン文字 | Kim Sang-hwan | |||||
ハングル | 김상환 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 韓国 | |||||
生年月日 | 1969年3月25日(55歳) | |||||
身長 | 182cm[1] | |||||
体重 | 75kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1984-1986 | 御影高校 | |||||
1987-1990 | 東海大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1991-1992 | 松下電器/ガンバ大阪 | 2 | (0) | |||
通算 | 2 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集東海大学を経て、1991年に日本サッカーリーグの松下電器産業サッカー部に加入[3]。1990-91シーズン第11節で岡中勇人、前田浩二、塩川哲也と共に追加登録された[3]。翌1991-92シーズンに出場機会を得ると、同年8月18日に行われたJSLカップ1回戦の東京ガス戦で公式戦デビューし[4]、10月13日に行われたJSL1部第5節のヤマハ発動機戦でリーグ戦デビューをした[4]。JSL1部での通算成績は2試合出場0得点[4]。1992年、プロ化によりガンバ大阪へ移行後もチームに在籍したが[1]、同年限りで退団。
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | 松下 | JSL1部 | |||||||||
1991-92 | |||||||||||
1992 | G大阪 | - | J | - | 0 | 0 | |||||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||
日本 | JSL1部 | 2 | 0 | ||||||||
総通算 | 2 | 0 |
脚注
編集- ^ a b c 「Jリーグ・カップ登録メンバーリスト」『サッカーマガジン』 1992年10月号、ベースボール・マガジン社、89頁。
- ^ 「昭和60年度第64回全国高等学校サッカー選手権大会 展望&ガイド」『サッカーダイジェスト』 1986年2月号別冊付録、日本スポーツ企画出版社、38頁。
- ^ a b 日本サッカーリーグ編『日本サッカーリーグ・Year book '91-'92』日本サッカーリーグ、1991年、39・118頁頁。
- ^ a b c 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、58・78・85頁頁。
- ^ “サッカー部”. 芦屋大学・芦屋短期大学公式ウェブサイト. 2020年12月6日閲覧。
- ^ “関西2部A昇格の芦屋大新入部員、芦屋学園の“大器”FW近藤や神村学園MF大迫ら”. ゲキサカ (2020年1月29日). 2020年12月6日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 金相煥 - Transfermarkt.comによる選手データ