金沢和良
金沢 和良(かなざわ かずよし、1946年11月8日 - )は、日本の男性プロボクサー、キックボクサー。北海道札幌市出身。アベボクシングジム所属。戦績41戦30勝(17KO)10敗1分。
基本情報 | |
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本名 | 金沢 和良 |
階級 | バンタム級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1946年11月8日(78歳) |
出身地 | 北海道札幌市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 41 |
勝ち | 30 |
KO勝ち | 17 |
敗け | 10 |
引き分け | 1 |
来歴
編集北海道札幌工業高等学校在学中に札幌ジムでボクシングを始め、1963年には全日本社会人フライ級で優勝。
当初は協栄ジム入門を希望していたが結果的にアベボクシングジム所属で1965年7月18日、市川清戦でプロデビュー。
ルーベン・オリバレスとは1969年に1度対戦したが、その際は2RKO負けだった。 1971年7月2日、孫永煥を5RKOで下し、OBF(現OPBF)東洋バンタム級王座を獲得。
同年10月25日、愛知県体育館でルーベン・オリバレスが持つWBA世界王座に挑戦した。14R(当時の世界戦は15R)KOで敗退したが、68戦66勝61KOと圧倒的なKO率を誇り、「ミスター・ノックアウト」の異名を持っていたオリバレスに全く歯が立たないとの下馬評を覆し、2度のダウンを奪われフラフラになりながらも体力の限界まで戦い続ける大健闘を見せた。この試合は日本プロボクシング史に残る名勝負とも言われた[1]。また、東京12チャンネルで生中継され18.8%の高視聴率を記録し、年間最高試合にも選ばれた。この試合は金平正紀がプロモートした中で最高のファイトだったという。
→「ルーベン・オリバレス 対 金沢和良戦」も参照
1972年2月13日のロメオ・アナヤ戦を最後に現役を引退した。
引退後はキックボクシング転身や、妻の実家で「住職を務める」などしたが、一時期はマック金平が実質的経営者の福島県いわき市のグローバル協栄第2代会長(前任者は藤猛)として後進を指導した。
戦績
編集41戦30勝(17KO)10敗1分
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
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1 | 1965年7月18日 | 勝利 | 2R | KO | 市川清 | 日本(豊島) | プロデビュー戦 |
2 | 1965年9月13日 | 勝利 | 4R | 判定 | 伊藤浅男 | 日本(野口) | |
3 | 1965年10月11日 | 敗北 | 4R | 判定 | 原山永吉 | 日本(日東) | |
4 | 1965年12月9日 | 勝利 | 1R | KO | 米持正敏 | 日本(東邦) | |
5 | 1965年12月26日 | 勝利 | 1R | TKO | 伏見巡 | 日本(大川) | |
6 | 1966年1月10日 | 勝利 | 2R | TKO | 榎本政治 | 日本(新興) | |
7 | 1966年2月12日 | 勝利 | 6R | 判定 | 坂井幹雄 | 日本(総武) | |
8 | 1966年7月14日 | 敗北 | 6R | 判定 | 池田耕二 | 日本(ベアー) | |
9 | 1966年8月28日 | 勝利 | 6R | 判定 | 横田正之 | 日本(堀口) | |
10 | 1966年11月3日 | 勝利 | 1R | KO | 笹岡茂也 | 日本(草加協栄) | |
11 | 1966年12月29日 | 勝利 | 8R | 判定 | 川上好博 | 日本(中村) | |
12 | 1967年2月9日 | 勝利 | 5R | TKO | 沖本峰晴 | 日本(ヨネクラ) | |
13 | 1967年3月30日 | 勝利 | 10R | 判定 | 川上好博 | 日本(中村) | |
14 | 1967年6月15日 | 敗北 | 2R | KO | ハーバート康 | 韓国 | |
15 | 1967年9月27日 | 引分 | 4R | 負傷判定 | 橋本久三 | 日本(晴海) | |
16 | 1967年10月30日 | 敗北 | 10R | 判定 | 中根義雄 | 日本(不二) | |
17 | 1967年12月7日 | 勝利 | 10R | 判定 | 須田善基 | 日本(オギノ) | |
18 | 1968年2月12日 | 勝利 | 10R | 判定 | 高山勝義 | 日本(木村) | |
19 | 1968年4月15日 | 勝利 | 9R | KO | ベビー・ロロナ | フィリピン | |
20 | 1968年5月27日 | 勝利 | 10R | 判定 | ロミー・ゲラス | フィリピン | |
21 | 1968年7月10日 | 勝利 | 7R | KO | 宇野正高 | 日本(東海) | |
22 | 1968年8月5日 | 勝利 | 7R | KO | ロヘリオ・ぺナロヤ | フィリピン | |
23 | 1968年9月23日 | 勝利 | 10R | 判定 | エリー・アクイント | フィリピン | |
24 | 1968年10月31日 | 勝利 | 5R | KO | テリー・ゴー | フィリピン | |
25 | 1969年1月26日 | 敗北 | 2R | TKO | ルーベン・オリバレス | メキシコ | |
26 | 1969年3月10日 | 勝利 | 9R | TKO | ヘスス・ピメンデル | メキシコ | |
27 | 1969年5月1日 | 勝利 | 10R | 判定 | イ・ウォンソク | 韓国 | |
28 | 1969年6月9日 | 敗北 | 4R | TKO | ルディ・アランコル | フィリピン | |
29 | 1969年8月7日 | 勝利 | 10R | 判定 | ホセ・メデル | メキシコ | |
30 | 1969年9月22日 | 勝利 | 7R | KO | カンペッチ・ソーンパジョン | タイ | |
31 | 1969年11月9日 | 勝利 | 5R | KO | 小山繁幸 | 日本(笹崎) | |
32 | 1969年12月7日 | 勝利 | 10R | 判定 | レオ・カルデロン | メキシコ | |
33 | 1970年3月1日 | 勝利 | 1R | KO | アルベルト・ハンガライ | フィリピン | |
34 | 1970年4月9日 | 敗北 | 4R | TKO | ロドルフォ・マルティネス | メキシコ | |
35 | 1970年5月26日 | 勝利 | 10R | 判定 | ロミー・ゲラス | フィリピン | |
36 | 1970年11月4日 | 敗北 | 8R | TKO | 牛若丸原田 | 日本(笹崎) | |
37 | 1971年2月1日 | 勝利 | 4R | KO | ベルクレック・チャルバンチャイ | タイ | |
38 | 1971年5月3日 | 勝利 | 1R | TKO | シン・チョルホ | 韓国 | |
39 | 1971年7月2日 | 勝利 | 5R | KO | ソン・ヨンファン | 韓国 | 東洋バンタム級王座決定戦(獲得) |
40 | 1971年10月25日 | 敗北 | 14R | KO | ルーベン・オリバレス | メキシコ | WBA/WBC世界バンタム級タイトルマッチ |
41 | 1972年2月13日 | 敗北 | 5R | KO | オメオ・アナヤ | メキシコ |
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テンプレート |
脚注
編集- ^ ボクシング名勝負100。 p86-p89