金沙遺跡
概要
編集成都市の城西の青羊区金沙街道に位置し、2001年2月8日、蜀風花園の住宅開発に伴う下水道工事中に発見された[1]。
21世紀最初の中国における考古学的大発見で、その後の発掘調査により、基本確認部分でも5平方kmに及ぶ大型遺跡である。
ここからはすでに金器200余点・青銅器1200余点・玉器2000余点・石器1000余点・漆木器10余点の5000点あまりと、陶器数万点・象牙1トン・動物骨片数千点が発掘された。
これらの調査などにより、本遺跡は、紀元前1700年~前1200年(夏晩期~殷後期)の三星堆文化の後、紀元前1200年~前500年(殷後期~春秋)の十二橋文化(十二橋・金沙文化と改称)の代表遺跡と解明された。以上により、2006年に中国重点文物保護単位に指定された。
遺物を代表するのが外径12.5cm・内径5.29cm・厚さ0.02cm・重量20gの太陽神鳥金箔で、現在、成都市の市徽になっている。そのほか玉器の代表が十節玉琮で、青銅器の代表が青銅立人で、石器の代表が跪坐石人像である。
2007年4月16日、遺跡上に金沙遺址博物館(成都市青羊区金沙遺址路2号)が開館し、祭祀址遺跡の保護展示の遺跡館、遺物など総合展示の陳列館などがある。
脚注
編集- ^ “金沙遺跡 古代人の宇宙観示す黄金製の「太陽神鳥」”. 人民中国 (2011年10月). 2015年2月10日閲覧。