金光様(こんこうさま)は、金光教の結界取次者(教主)を意味する用語。

概要

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金光教において信仰の中心となる結界取次者(教主)の尊称で、単に「こんこうさま」と唱えた場合、教祖である金光大神が見えないながらも目の前に登場し、願う人間に対して取次をするという教え[1]があり、救済を求める金光教信者の念仏的な呼びかけの言葉として使われている。別の教え[2]もあり、そのため「天地金乃神(てんちかねのかみ)」様とだけ唱える信者はほとんど見られない[3]

また、現在の本部広前の結界に座っている取次者に呼びかける場合も、誰が座っていても「こんこうさま」と呼ぶ。教主以外の取次者(代勤者)も、すべて教祖の子孫の金光姓の人間から選ばれているため不思議ではないが、過去には二代目白神新一郎など子孫ではない別姓の人間が座っていたときも、「こんこうさま」と呼ばれた。

「こんこうさま」と唱えると、前記のように教祖が出現するという信仰から、取次者自身の信心の実践として教祖に現れてもらい、修行中である自分自身の能力不足を教祖に補ってもらうため結界に座っている取次者が誰であっても金光様と呼ぶよう指導する金光教の教会も多数見られる。

歴代金光様

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  • 金光大神(こんこうだいじん、1814年9月29日 - 1883年10月10日)
    • 金光様。戸籍名は金光大陣、旧名は赤沢文治、川手文治郎、香取源七(幼名:かんどりげんしち)など。
    • 本部広前での取次期間は1859年10月21日 - 1883年。
    • 教祖様と呼ばれる場合はこの人物を指す。
  • 金光四神(こんこうしじん、1854年12月25日 - 1893年12月20日)
    • 二代金光様。戸籍名は金光宅吉(こんこういえよし)、幼名は宇之丞。
    • 本部広前での取次期間は1883年11月28日 - 1893年。
    • 四神様(しじんさま)と呼ばれることが多い。
  • 金光攝胤(こんこうせつたね、1880年8月5日 - 1963年4月13日)
    • 三代金光様。
    • 本部広前での取次期間は1893年12月29日 - 1963年。
  • 金光鑑太郎(こんこうかがみたろう、1909年4月26日 - 1991年1月10日)
    • 四代金光様。
    • 本部広前での取次期間は1963年7月9日 - 1991年。
  • 金光平輝(こんこうへいき、1934年10月31日[4] - 2024年7月21日[5]
    • 五代金光様。
    • 本部広前での取次期間は1991年3月27日 - 2021年3月26日。
  • 金光浩道(こんこうひろみち、1966年6月28日[6] - )

脚注

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  1. ^ 「金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。」という教えのこと。
  2. ^ 「まさかの折には、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。」という教えのこと。
  3. ^ 「天地金乃神様ありがとうございます。」というお礼の文言は耳にすることがあるが、普通のお願い時には「生神金光大神様、天地金乃神様」とセットである。
  4. ^ 10月31日 教主お誕生日”. 金光教 (2014年10月31日). 2014年10月31日閲覧。
  5. ^ [おくやみ]金光平輝氏(金光教前教主):中外日報”. 中外日報社 (2024年7月22日). 2024年7月28日閲覧。
  6. ^ 6月28日 教主お誕生日”. 金光教 (2021年6月28日). 2021年6月29日閲覧。
  7. ^ 「芸能界での失敗体験」
  8. ^ “金光平輝教主、退任へ 初の生前代替わり 金光教”. 中外日報 (中外日報社). (2021年3月3日). https://www.chugainippoh.co.jp/article/news/20210303-001.html 2021年4月5日閲覧。 

参考文献

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