野間千代三

日本の衆議院議員

野間 千代三(のま ちよぞう、1919年6月28日 - 1977年1月26日[1])は、日本の衆議院議員である。日本社会党所属。

日本の政治家
野間 千代三
生年月日 (1919-06-28) 1919年6月28日
出生地 神奈川県
没年月日 (1977-01-26) 1977年1月26日(57歳没)
死没地 東京都
所属政党 日本社会党

衆議院議員
選挙区 神奈川県第1区
当選回数 2
在任期間 1963年 - 1969年
テンプレートを表示

経歴

編集

神奈川県橘樹郡町田村大字矢向(現在の横浜市鶴見区矢向)に生まれる。幼い時から激しい農事労働を続け、小学校を卒業する。貧しかったので進学できず、東芝鶴見工場に就職し、技能者養成所に学ぶも少年時代からの過酷な労働が災いし、肺浸潤にかかり退職する。再び農家を手伝いながら、闘病生活をつづけ、夜はむさぼるように読書に励む。石川啄木斎藤茂吉から始まって、西田幾太郎の哲学まで及んだ。病が癒えると、国鉄に就職し、24年間勤める。その間に国鉄大井工場の労組づくりをして以来組合活動を続けて国鉄労働組合地方本部委員長などを務め[2]1963年(昭和38年)に第30回衆議院議員総選挙神奈川県第1区で立候補し初当選した[3]1969年(昭和44年)まで衆議院議員を務めた[1]

1977年1月26日に、胃がんのため死去した[1]。民俗学者小泉和子は姪。

脚注

編集
  1. ^ a b c 「野間千代三氏(運輸審議会委員、元社会党代議士)死去」『読売新聞』1977年1月26日、夕刊9面。
  2. ^ 神奈川県選挙管理委員会「昭和38年11月21日執行衆議院議員総選挙選挙・最高裁判所裁判官国民審査の記録」、神奈川県選挙管理委員会、1964年3月、93頁
  3. ^ 「成功した地域割り方式 社会 新人は全員当選 自民に痛い岡崎氏落選」『読売新聞』1963年11月23日、神奈川16面。