野澤洋輔

日本のサッカー選手

野澤 洋輔(のざわ ようすけ、1979年11月9日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)

野澤 洋輔
名前
カタカナ ノザワ ヨウスケ
ラテン文字 NOZAWA Yosuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-11-09) 1979年11月9日(45歳)
出身地 静岡県静岡市葵区
身長 180cm
体重 75kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1995-1997 日本の旗 清水エスパルスユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-1999 日本の旗 清水エスパルス 0 (0)
2000-2008 日本の旗 アルビレックス新潟 188 (0)
2009-2011 日本の旗 湘南ベルマーレ 69 (0)
2012-2014 日本の旗 松本山雅FC 36 (0)
2015-2018 シンガポールの旗 アルビレックス新潟・S 94 (0)
2019 日本の旗 アルビレックス新潟 1 (0)
通算 388 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年11月24日現在。
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来歴

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静岡大学附属小学校中学校出身。クラブチームでは当初はFWをやっていたものの、小学校5年生時より監督からGKをやらされたのがきっかけでGKとなった[1]。高校2年生になるまではバスケットボールのインターハイの優勝経験を持つ父の影響もありバスケットボールも並行して行っていた。日本大学三島高校時代には静岡県選抜にも選ばれていたが、高校2年生時から本格的にサッカーのみに集中し始めたという[1]

1998年清水エスパルスに入団するも真田雅則が正GKとして定着しており出番に恵まれなかった。2000年アルビレックス新潟に移籍すると、当初は吉原慎也木寺浩一に次ぐ第3GKであったが2001年に吉原が退団すると木寺との争いを制してレギュラーに定着した。2003年にはクラブのJ1昇格、J2優勝に貢献した。その端正な顔立ちと明るい性格で新潟の他選手の追随を許さないサポーターからの圧倒的な人気を誇った。新潟の試合時にスタジアムで見られる「わざの野澤」という回文の横断幕や、キックオフ直前にゴールのクロスバーに捕まって行う懸垂はおなじみであった。

全国的な人気もあり、2004年Jリーグオールスターサッカーでは地元の新潟スタジアムでの開催ということもあり、サポーター投票では東軍のGK部門で2位以下を大きく引き離して選出された。西軍として戦った2005年こそ開催地の大分スタジアムでプレーする大分トリニータ西川周作に1位の座を譲ったが、再び東軍として戦う2006年は、2位以下に大差をつけて選出された。

しかし自身は4月23日のJ1第9節・福岡戦で0-2と敗れて以降、北野貴之に正GKの座を奪われる。9月9日の第23節・ヤマハスタジアムでの磐田戦で久々の先発出場を果たしたが、この試合で7失点を喫し、第24節以降は再び控えとなってしまった。この試合に象徴されるように、好不調の波が激しい一面があり、ファインセーブを連発するかと思えば、イージーなゴールを許してしまうこともある。しかし、控え選手となっていながらも腐ることなく練習を続ける様や、サポーターとの交流を積極的に行う様子は正GKの時と変わることなく、サポーターから愛された。

2009年1月6日、新潟時代の恩師である反町康治が新監督に就任したJ2湘南ベルマーレへ完全移籍。同シーズンは過去2年間正GKだった金永基が開幕直前で負傷したためレギュラーの座を掴み、全51試合出場を果たしてJ1昇格の立役者となった。しかし、2010年椎間板ヘルニアを発症してしまい、さらに復帰後は離脱中に移籍加入した都築龍太に正GKの座を譲る試合も多く18試合の出場に留まった。チームも最下位で1年でJ2で逆戻りとなった。2011年は新加入の西部洋平が正GKとなり、出場なしに終わった。さらに控えGKは阿部伸行が務めたためベンチから外れる試合も多く、チームも14位に沈んだ。

2012年より、反町が新監督を務める松本山雅FCに移籍した[2]。初年度はポジションを掴んだが、2013年になるとヘルニアが再発し長期離脱。その間に、白井裕人村山智彦にポジションを明け渡した。2014年も引き続きヘルニアの治療のため離脱していたが、最終節の水戸ホーリーホック戦で約1年半ぶりとなるリーグ戦出場を果たすと完封勝利に貢献。J1昇格に花を添えた。

2015年よりアルビレックス新潟シンガポールでプレー。ほぼ全試合に出場し、チームのSリーグ3連覇に大きく貢献した。

2019年よりアルビレックス新潟に復帰[3]。公式戦の試合出場は無く11月19日に契約満了が発表され[4]、リーグ戦最終節となる11月24日のV・ファーレン長崎戦に後半アディショナルタイム4分に大谷幸輝と交代で出場した[5]

2019年12月17日に現役引退を発表[6]。同月19日に新潟市陸上競技場にて引退会見を開催し[6]、引退後の2020年1月から新潟の営業部への配属となることを公表した[7]

エピソード

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  • 前述の通りバスケットボールもやっていたが、サッカー選手になった理由はバスケットボールのプロリーグがなかったからとサッカーマガジンのインタビューで答えている。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 清水 24 J 0 0 0 0 0 0 0 0
1999 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 新潟 21 J2 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 44 0 1 0 2 0 47 0
2002 43 0 - 1 0 44 0
2003 44 0 - 2 0 46 0
2004 J1 19 0 6 0 1 0 26 0
2005 26 0 6 0 1 0 33 0
2006 10 0 2 0 0 0 12 0
2007 0 0 0 0 0 0 0 0
2008 2 0 2 0 0 0 4 0
2009 湘南 32 J2 51 0 - 0 0 51 0
2010 1 J1 18 0 1 0 2 0 21 0
2011 J2 0 0 - 2 0 2 0
2012 松本 21 29 0 - 0 0 29 0
2013 1 6 0 - 0 0 6 0
2014 1 0 - 0 0 1 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2015 新潟S 21 Sリーグ/SPL 27 0 4 0 6 0 37 0
2016 21 0 3 0 3 0 27 0
2017 22 0 5 0 5 0 32 0
2018 24 0 - 5 0 29 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2019 新潟 21 J2 1 0 - 0 0 1 0
通算 日本 J1 75 0 17 0 4 0 96 0
日本 J2 219 0 1 0 7 0 227 0
シンガポール Sリーグ 94 0 12 0 19 0 125 0
総通算 388 0 30 0 30 0 448 0

タイトル

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クラブ

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アルビレックス新潟
アルビレックス新潟シンガポール

脚注

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  1. ^ a b 【スペシャルインタビュー Vol.22】アルビレックス新潟:野澤洋輔選手「自分のサッカーだけでなく、新潟全体が変わった」 - J's GOAL、2005.09.24
  2. ^ 野澤洋輔選手 完全移籍加入のお知らせ 松本山雅FC公式HP 2012年1月13日(1月13日閲覧)
  3. ^ アルビレックス新潟シンガポールから 野澤 洋輔 選手 来季完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2018年10月15日https://www.albirex.co.jp/news/56355/2019年11月24日閲覧 
  4. ^ 契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2018年11月19日https://www.albirex.co.jp/news/58484/2019年11月24日閲覧 
  5. ^ 2019明治安田生命J2リーグ 第42節第1日”. J.League data site. 2019年11月24日閲覧。
  6. ^ a b 野澤 洋輔 選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2019年12月17日https://www.albirex.co.jp/news/58582/2020年1月1日閲覧 
  7. ^ 野澤 洋輔 選手 2020年1月に株式会社アルビレックス新潟 入社のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2019年12月19日https://www.albirex.co.jp/news/58588/2020年1月1日閲覧 
  8. ^ a b c d 選手・スタッフ』(プレスリリース)アルビレックス新潟シンガポールhttp://www.albirex.com.sg/ja/archives/players/gk-21-yosuke-nozawa2016年2月14日閲覧 

関連項目

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外部リンク

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