重信川
重信川(しげのぶがわ)は、愛媛県中予地方を流れる一級河川重信川水系の本川。東温市付近を扇頂として広大な扇状地(道後平野)を形成している。戦国時代以前は伊予川(上流では久米川、横川)と呼ばれていた。氾濫の多い暴れ川であったと伝えられ、時代により流れを幾度も変えている。急傾斜地を水源とするため、河床に砂礫がたまりやすく、天井川であったと伝えられる。
重信川 | |
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出合大橋上から上流側 | |
水系 | 一級水系 重信川 |
種別 | 一級河川 |
延長 | 36 km |
平均流量 |
1.44 m3/s (山之内観測所 2000年) |
流域面積 | 445 km2 |
水源 | 東三方ヶ森(愛媛県) |
水源の標高 | 1,233 m |
河口・合流先 | 伊予灘(愛媛県) |
流域 | 日本 愛媛県 |
地理
編集高縄半島の東三方ヶ森(標高1233m)南麓に発し南流。東温市見奈良からは向きを西に変える。松山平野(道後平野)を潤し、松山市と伊予郡松前町との境界を成しつつ伊予灘に注ぐ。
高低差の割に河川長が短いため、度々洪水に見舞われる一方、河床は砂礫層であり、流域の両岸には伏流水による湧水が多く、灌漑等に用いられてきた。河口は西日本有数の渡り鳥の渡来地となっている。
源流点
編集2012年12月5日、重信川の自然をはぐくむ会による調査が行われ、東三方ヶ森山頂から東北東約500mの山中にある石積み堰堤箇所を源流点とした[1]。正確な位置は標高1000メートル、北緯33度54分17秒、東経132度57分55秒(西条市丹原町田滝)であった。
歴史
編集典型的な扇状地河川で伏流しているので、普段は流量も少なく見えるが、降雨が続くと一気に伏流水が地上に溢れ、水害を引き起こす。
- 資料:愛媛大学による
名称の由来
編集もともと「伊予川」と呼ばれていたこの川は豪雨の度に氾濫していたため、文禄・慶長年間に松山城の城主・加藤嘉明が家臣の足立重信に石手川[2]とともに改修を命じた。重信川については、森松付近から流路を北に寄せ、伊予灘に流れ込む形にした。また、石手川は南西方向に流路を変えて、現在の出合と呼ばれる地点で重信川と合流させた。この重信の一連の工事によって伊予川の氾濫が収まったため、その功績を讃えるために人々は重信川と呼ぶようになった。河川名称に個人の名が付けられるのは、日本では大変珍しいとされる[3][注釈 1]。
流域の自治体
編集環境
編集地元地域の小学生(北吉井小学校など)が清掃活動を行った。北吉井小学校は5回の清掃活動を行った。南吉井小学校も積極的である。
主な支流
編集- 市町名は流域の自治体。
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内川
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悪社川
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御坂川(左)と砥部川(右)
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表川
主な橋梁
編集- (伊予灘)
- 川口大橋(愛媛県道22号伊予松山港線)
- 出合橋(愛媛県道326号松山松前伊予線)
- (伊予鉄道郡中線)
- 出合大橋(国道56号線)
- (予讃線)
- 中川原橋(愛媛県道16号松山伊予線)
- 重信高架橋(松山自動車道)
- 重信大橋(国道33号線)
- 重信橋(愛媛県道194号久谷森松停車場線)
- 久谷大橋(愛媛県道40号松山東部環状線)
- 上村大橋
- 拝志大橋(愛媛県道209号美川松山線)
- 上重信橋
- 重信川橋(松山自動車道)
- 見奈良大橋
- 横河原橋(愛媛県道334号松山川内線)
- 新横河原橋(国道11号線)
- 大畑橋
- 御所橋
- 麓橋
- 藤之内橋(愛媛県道152号寺尾重信線)
- (東三方ヶ森)
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川口大橋
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重信川橋梁(予讃線)
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重信川橋(松山自動車道)
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拝志大橋
並行する交通
編集鉄道
編集道路
編集流域の観光地
編集出典
編集- ^ 西条・丹原の山中に重信川源流点を確定 愛媛新聞ONLINE(2012年12月7日) 2017年10月14日閲覧
- ^ 石手川は足立重信による付け替え前は流路が異なっており、現在のような重信川の支流ではなかった。
- ^ “松山河川国道事務所/重信川とは”. www.skr.mlit.go.jp. 2019年9月7日閲覧。
- ^ 瀬戸内海の環境データベース, 2007年, 湾灘別の環境特性及び課題特性一覧, 国土交通省