醍醐 忠善(だいご ただたる)は、江戸時代後期の廷臣。内大臣醍醐輝弘の子。官位従五位下醍醐家8代当主。

 
醍醐忠善
時代 江戸時代後期
生誕 文政2年(1819年
死没 文政3年(1820年
官位 従五位下
氏族 醍醐家
父母 父:醍醐輝弘、母:蜂須賀宗子
兄弟 忠善忠順
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経歴

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醍醐輝弘の子として誕生。母は一条輝良養女(蜂須賀至央養女、蜂須賀休光娘)・宗子。実弟に権大納言忠順がいる。

生後すぐに本家一条忠良の猶子に入った。清華家の家格をもつ醍醐家の当主の一人に数えられているが、2歳で早世している。叙爵はしており、その時の官位従五位下が最終官位となった。

幼くして死去したため嗣子はなく、父・輝弘が再度当主となるが、文政13年(1830年)に誕生した弟・忠順が醍醐家を継いだ。

系譜

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醍醐家

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醍醐家は、一条昭良の子である醍醐冬基を始祖とし、清華家の一つであった。

皇室との関係

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後陽成天皇の男系七世子孫である。後陽成天皇の第九皇子で一条家を継いだ一条昭良の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。