醍醐 冬香(だいご ふゆよし)は、江戸時代中期の公卿正三位権中納言

 
醍醐冬香
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦元年11月21日1752年1月7日
死没 明和9年2月13日1772年3月16日
官位 正三位権中納言
主君 桃園天皇後桜町天皇後桃園天皇
氏族 醍醐家
父母 父:醍醐経胤、母:お升(宗義誠の娘)
養父:醍醐兼純
兄弟 冬香輝久
養子:輝久
テンプレートを表示

概要

編集

桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)の三帝にわたって仕えたが、若くして薨去したために正三位権中納言止まりだった。黒田継高の娘、厚姫と結納まで交わしていたが早世した。父は右大臣醍醐経胤。弟に権大納言醍醐輝久がいる。

生涯

編集

宝暦8年(1758年)に叙爵。以降累進して侍従左近衛権少将左近衛権中将を経て、明和元年(1764年)に従三位となり、公卿に列する。明和4年(1767年)に権中納言に任じられ、明和9年(1772年)まで務めたが、同年に薨去した。享年22。

家族・親族

編集

系譜

編集

醍醐家

編集

醍醐家は、一条昭良の子である醍醐冬基を始祖とし、清華家の一つであった。

皇室との関係

編集

後陽成天皇男系五世子孫である。後陽成天皇の第九皇子で一条家を継いだ一条昭良の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。

関連項目

編集