酒井忠相
酒井 忠相(さかい ただみ)は、上野前橋藩の第6代藩主。雅楽頭系酒井家11代。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文7年1月23日(1667年2月15日) |
死没 | 宝永5年1月25日(1708年2月16日) |
改名 | 与四郎(幼名)→忠匡(初名)→忠貞→忠相 |
諡号 | 龍海院 |
戒名 | 永昌院殿光運源穆大居士 |
墓所 | 群馬県前橋市紅雲町の龍海院是字寺墓地 |
官位 | 従四位下、雅楽頭、内匠頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 上野前橋藩主 |
氏族 | 雅楽頭酒井家 |
父母 |
父:酒井忠挙 母:筑姫(宝厳院、黒田光之の娘) |
兄弟 | 忠相、市子(京極高豊継室)、頼子(柳沢吉里正室) |
妻 |
正室:梅姫(小笠原長章の娘) 継室:安姫(姉小路公量の娘) |
子 | 親愛、冬姫、辰之助、初姫、団之助、弁之助 |
生涯
編集寛文7年(1667年)1月23日、第5代藩主・酒井忠挙の長男として生まれる。延宝3年(1675年)に忠匡と名乗り、天和3年(1683年)に従五位下・内匠頭に叙位・任官する。元禄3年(1690年)11月13日に忠貞と改名し、元禄14年(1701年)8月4日に忠相と改名する。12月18日には従四位下に昇叙する。
宝永4年(1707年)11月7日、父の隠居により家督を継いだが、わずか3ヶ月後の宝永5年(1708年)1月25日に死去した。享年42。跡を長男の親愛が継いだ。