鄭書云
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2015年8月) |
鄭 書云(チョン・ソウン、정서운、1924年 - 2004年2月26日)は、慰安婦の証言者。13歳のころからオランダ領東インドの慰安所で1日平均50人との性関係を持っていたことから「挺身隊おばあさん」として韓国では有名であった[1]。
略歴
編集戦争犠牲者を心に刻む会 1997での本人の証言をもとに列記する。
- 1924年、韓国の田舎の地主のひとり娘として生まれる[2]。
- 父が金属製食器の供出命令を拒否したため逮捕・拷問される。区長が日本の工場で働かないか、働けば父親も釈放されるだろうというので、区長について釜山へ、そこから下関へ行く[2]。
- 下関では同じような少女たちと1ヶ月位倉庫に入れられる、その後で船でインドネシアのスマランへ行かされる[2]。
- スマランの慰安所で兵士の相手をさせられる。兵士は乱暴で刀で刺されたり煙草を押しつけられたりする。あまりの兵士の多さに気絶する程の苦痛を覚え、軍医に訴えるとアヘン注射を恒常的に打たれるようになる[2]。
- 自殺しようかとも思うが、朝鮮人兵士の励ましで耐え、終戦を迎える。シンガポールの収容所で帰国を待ち1年くらいして帰国。父は牢獄で死亡、母は自殺、アヘン中毒となり快復に7年かかる[2]。
- 1996年、元慰安婦として証言をする[2]。
- 2004年2月26日、80歳で老衰にて死去[2]。
証言履歴
編集- 秦郁彦 1999から。
証言の内容と信憑性について
編集脚注
編集参考文献
編集- 戦争犠牲者を心に刻む会 編『私は「慰安婦」ではない 日本の侵略と性奴隷』東方出版〈アジアの声 (第11集)〉、1997年8月。ISBN 978-4885915314。
- 秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社〈新潮選書〉、1999年6月。ISBN 978-4106005657。