総管(そうかん)は、かつて中国にあった官職である。都総管とも。

歴史

編集

北周武成元年(559年)、地方軍事長官の職名が都督から総管に改称された[1][2]武帝王謙益州総管に任じた。でも総管の名称は用いられたが、武徳7年(624年)、高祖によって総管は都督に戻された[1]。ただし作戦の元帥行軍総管中国語版、行軍大総管[1]と呼ばれた。五代からにかけては馬歩軍都総管や兵馬総管といった職名が存在した。

代になると各地に都総管府あるいは総管府が置かれ、各種事務を管理した。各親王幕府は出兵時に総管を常設した。宦官の首領は総管太監中国語版と称され、俗に総管と呼ばれた。清の内務府の長官も総管内務府大臣と称され、行宮の官員を総管した。歩軍統領中国語版内属蒙古中国語版布特哈中国語版の官員も総管(満洲語: ᡠᡥᡝᡵᡳ ᡩᠠ, ラテン文字転写: uheri da)と称された。

日本においては天平3年11月22日731年12月25日)に治安の維持と行政の監察を目的とした臨時の官として畿内総管が置かれ、新田部親王が大総管、藤原宇合が副総管にそれぞれ任じられた[3]

出典

編集