都佐国造
都佐国造(とさのくにのみやつこ・とさこくぞう)は、都佐国(後の令制国の土佐国東部)を支配した国造。
都佐国造 | |
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本姓 | 土佐氏(凡直) |
家祖 | 小立宿祢 |
種別 | 神別(地祇) |
出身地 | 大倭国または出雲国 |
主な根拠地 | 都佐国(のちの土佐国) |
著名な人物 | #人物参照 |
支流、分家 | 長国造、長阿比古氏、意岐国造、住道氏、依網我孫氏 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
概要
編集表記
編集『先代旧事本紀』「国造本紀」に都佐国造とある。
祖先
編集氏族
編集土佐氏(とさうじ、姓は凡直)。国造制の後には都佐評の評督を務め、さらに後は土佐郡の郡司を務めた。
奈良時代には凡直を称したという。安芸郡少領家として凡直姓の者が見えるため、安芸郡が土佐国の支配下にあったことがわかる[1]。その他、『続日本紀』神護景雲2年(768年)十一月戊子条で賀茂姓を賜った神依田公も当地の豪族であり土佐高賀茂大社が存在したとされ、式内社都佐坐神社に比定される。
本拠
編集支配領域
編集土佐国西部(幡多郡)を波多国造が支配しており、安芸郡を含む土佐国東部を都佐国造が支配していたとされる。名称については、建依別の示す剛健勇武さに由来する「敏聡」の約語によると見る説、遠狭・土狭・処離といった地勢に基づくとする説などがある。
氏神
編集旧土佐郡にあり土佐国一宮の都佐坐神社(とさにますじんじゃ)か。
関連神社
編集人物
編集国造職に就いた者たちの全貌は不明である。
子孫
編集系譜
編集系図1
編集大国主神 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
事代主神 | 建御名方神 (洲羽国造、木蘇国造等祖) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
天八現津彦命 | 櫛御方命 (三輪君、鴨君、胸形君等祖) | 媛蹈鞴五十鈴媛 (神武天皇后妃) | 五十鈴依姫命 (綏靖天皇后妃) | ||||||||||||||||||||||||||||||
観松彦色止命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
大日腹富命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
建美奈命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
甕男立命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
麻斯命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
多米津古命 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
忌寸宿祢 (忌毛宿祢) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
小立宿祢 (成務朝定賜都佐国造) | 兎坏足尼 | 韓背宿祢 (同朝定賜長国造) | |||||||||||||||||||||||||||||||
系図2
編集脚注
編集参考文献
編集- 加藤謙吉 他・編『日本古代史地名事典』 雄山閣、2007年、ISBN 978-4-639-01995-4、786,789頁