郷竹三
大日本帝国陸軍軍人
郷 竹三(ごう たけぞう、1881年(明治14年)2月23日[1] - 1933年(昭和8年)9月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は正四位勲三等功五級[2]。
郷 竹三 | |
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生誕 |
1881年2月23日 日本 岐阜県 |
死没 | 1933年9月2日(52歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1902年 - 1933年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴・人物
編集岐阜県出身[1][3]。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業[1][4]。 1913年(大正2年)陸軍大学校第25期卒業[1][5]。
陸軍重砲兵射撃学校教官を経て、1916年(大正5年)12月に海軍砲術学校教官に転じる[6]。1924年(大正13年)10月に野戦重砲兵第8連隊長に発令され、同年12月に陸軍砲兵大佐に進み、1926年(大正15年)3月に砲兵監部部員、1928年(昭和3年)8月に第11師団参謀長を経て、1930年(昭和5年)8月に陸軍少将に進み、砲兵監部附となる[1][3]。
ついで、1932年(昭和7年)4月に野戦重砲兵第3旅団長、同年12月に陸軍重砲兵学校長を経て、1933年(昭和8年)9月2日に任官中に没し陸軍中将に特進した[1][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。