那覇市立城南小学校
沖縄県那覇市にある小学校
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那覇市立城南小学校(なはしりつ じょうなんしょうがっこう)は、沖縄県那覇市首里崎山町4丁目にある公立小学校[1]。那覇市立城南こども園を併設している。
那覇市立城南小学校 | |
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北緯26度12分47秒 東経127度43分20秒 / 北緯26.213194度 東経127.722361度座標: 北緯26度12分47秒 東経127度43分20秒 / 北緯26.213194度 東経127.722361度 | |
過去の名称 |
東小学校 首里小学校 首里尋常高等小学校首里高等小学校 首里尋常高等小学校 首里第一尋常高等小学校 首里第一国民学校 城南初等学校 首里市城南小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 那覇市 |
併合学校 |
西小学校 北小学校 |
設立年月日 | 1880年11月20日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B147220100021 |
所在地 | 〒903-0814 |
沖縄県那覇市首里崎山町4丁目35-2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集創立は1880年と古く、前身の首里尋常高等小学校・首里第一国民学校の時代には首里城内に校舎があった[1]。戦後になって「城南小学校」と改称した[1]。
城南小学校になった1947年3月以降、2013年3月までの卒業生は8504人[1]。2021年4月8日時点の在校生は410人[2]。
沿革
編集- 出典[3]
- 1880年(明治13年)11月20日 - 当蔵村に東小学校として開校[1]。
- 1886年(明治19年)
- 1888年(明治21年)2月 - 首里尋常高等小学校首里高等小学校と改称。
- 1893年(明治26年)9月20日 - 首里尋常高等小学校と改称。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 首里第一尋常高等小学校と改称し、男女共学を実施。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、首里第一国民学校と改称。
- 1945年(昭和20年)4月 - 米軍が沖縄に上陸し、校舎が焼失(戦後)。
- 1946年(昭和21年)8月21日 - 崎山区旧放送局跡に幕舎を建て、金城・赤田の城東・城西・城北の各校から引き取り、城南初等学校として開校[1]。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革による学校区の変更で、赤田・崎山・鳥堀が区域となる。
- 1952年(昭和27年)2月28日 - 首里市城南小学校と改称。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 首里市の那覇市への編入により、那覇市城南小学校と改称。
- 1956年(昭和31年)7月17日 - 校旗・校歌を制定[1]。
- 1980年(昭和55年)11月20日 - 創立100周年。
- 1982年(昭和57年)3月1日 - 体育館竣工し、校舎・体育館落成祝賀記念式典を挙行。
- 1985年(昭和60年) - 給食室建設[4]。
- 2000年(平成12年)12月10日 - 果樹園完成(学校創立120周年記念事業)。
- 2002年(平成14年) - 新校舎建設[4]。
- 2008年(平成20年)2月16日 - 新校舎改築記念祝典挙行。
- 2017年(平成29年)
- 2021年(令和3年)1月31日 - 創立140周年記念児童式典挙行。
校歌
編集作詞:泉国夕照、作曲:仲本朝教[1]。
通学区域と進学先中学校
編集- 出典[5]
通学区域
編集- 首里赤田町(全域)
- 首里金城町4丁目(全域)
- 首里崎山町(全域)
- 首里鳥堀町1丁目(全域)
- 首里鳥堀町2丁目(全域)
- 首里鳥堀町3丁目(全域)
- 首里鳥堀町4丁目(1番地 - 100番地)
- 首里鳥堀町5丁目(全域)
- 繁多川4丁目(22番地、25番地)
進学先中学校
編集アクセス
編集周辺
編集- 那覇市立城南こども園 - 同一敷地内で、かつ進級前こども園のひとつ。
- 日本キリスト教団首里教会 - 敷地が隣接。
- 学校法人カトリック学園首里カトリック幼稚園 - 進級前幼稚園のひとつ。
- 学研崎山教室
- 沖縄県道82号那覇糸満線
- 沖縄自動車道那覇IC
- 金城ダム
- 沖縄県立芸術大学首里崎山キャンパス