道了堂跡
(道了堂から転送)
道了堂跡(どうりょうどうあと)とは東京都八王子市鑓水の現在の大塚山公園内にある絹の道(神奈川往還)に関連する文化財である。
道了堂跡 Doryo-do Temple ruins | |
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分類 | 史跡 |
所在地 | |
座標 | 北緯35度37分29.3秒 東経139度20分56.0秒 / 北緯35.624806度 東経139.348889度座標: 北緯35度37分29.3秒 東経139度20分56.0秒 / 北緯35.624806度 東経139.348889度 |
設備・遊具 | ベンチ |
駐車場 | 絹の道資料館にあり |
バリアフリー | なし |
概要
編集1874年(明治7年)に鑓水商人が浅草花川戸から道了尊を勧請したことが始まりである。1875年(明治8年)には道了堂(正式名称:永泉寺別院曹洞宗大塚山大岳寺[1][2][3])が建立され絹の道の中継地として栄えた。
1908年(明治41年)に横浜鉄道(現JR横浜線)が開通すると絹の道が衰退していき、1963年(昭和38年)9月10日に堂守の女性が殺害された事件[1]があって以降、無住となり堂宇が荒廃[4]した。
その後、1985年(昭和60年)に八王子市が策定した市指定史跡「絹の道」の保全と環境整備を目的とする基本構想により、1986年(昭和61年)に八王子市が堂守の遺族から土地を買収、道了堂は解体された。1990年(平成2年)9月[5]に旧道了堂境内は大塚山公園として整備された。
大塚山公園から絹の道資料館までの未舗装区間は文化庁によって「歴史の道百選」に選定されている。大塚は鑓水の旧小字である[5]。
階段を上ったところにある二基の灯籠は1890年(明治23年)に作られたものである。
稲川淳二による首なし地蔵の怪談[6]で舞台になった場所でもあるが、実際は絹の道や尾根道を辿るハイカーが多く通過し、犬の散歩をする者もいる場所である。ただし夜間は照明が乏しいため、転倒などの事故に注意すべきである。
脚注
編集- ^ a b 辺見じゅん『呪われたシルク・ロード』角川文庫、1980年。ISBN 978-4041475010。
- ^ 『朝日新聞』1963年10月5日夕刊。
- ^ 東京都宗教法人名簿(令和5年12月31日現在)|東京都生活文化局 (PDF)
- ^ 中央電子株式会社. “八王子散歩道 大塚山公園/道了堂跡”. 2010年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月10日閲覧。
- ^ a b 八王子辞典の会『八王子辞典』かたくら書店、2001年。ISBN 4-906237-78-9。
- ^ 稲川淳二の真夜中のタクシーなど。