近藤 隆夫(こんどう たかお、1967年1月26日 - )は、日本スポーツライター[1]三重県松阪市出身[1]

松阪市立揥水小学校松阪市立東部中学校聖パウロ学園高等学校卒業[1]上智大学文学部ドイツ文学科在学中、『週刊ゴング』(日本スポーツ出版社)記者となり、1986年からは主に「ジャパン女子プロレス」を担当する。同年秋、『ゴング格闘技』(日本スポーツ出版社)に創刊から記者、編集者としてかかわる。

87年からタイ、インドほかアジア諸国を1年あまり放浪した後、『ゴング格闘技』編集長に[1]。本人によるとフリーの立場での就任であった[2]1991年9月号で大山倍達に単独インタビュー[3]。1991年12月号を最後に突然の退任。理由は明確に表現できない、としている[2]。2か月以上、『ゴング格闘技』は編集長不在に[4]

1991年12月に渡米、ニューヨークマイアミロサンゼルスに在住し全米4大スポーツ(MLBNFLNBANHL)を取材。帰国後、1993年に『BASKETBALL SLAMJAM』(日本スポーツ出版社)を創刊、編集長を務めると同時にスポーツライターとしての活動を本格化させる。スポーツの現場を取材するほか、テレビ・ラジオのスポーツ番組でコメンテーターも務める[1]

SPORTS COMMUNICATIONS(二宮清純責任編集)で、毎月第2金曜日、近藤隆夫「INSIDE格闘技」をWEB上で掲載している。

著書

編集
  • 「格闘技スカウティングレポート〈1998〉246人の戦闘能力」(ぶんか社
  • 「格闘技スカウティングレポート2000 - 258人の戦闘能力」(ぴいぷる社
  • 「格闘技がわかる絵事典 国が変わればルールも変わる! 古武道から総合格闘技まで」(PHP研究所
  • 「グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜」(文春文庫PLUS)
  • 「確実にワンランクアップする! 野球が突然、うまくなる―技術、戦略・精神論から体力トレーニングまで」(成美堂出版二宮清純との共著)
  • 「情熱のサイドスロー 小林繁物語」(竹書房
  • 「めざせ!ナンバー1 もっと速く走れる!」(汐文社
  • 「ジャッキー・ロビンソン 人種差別をのりこえたメジャーリーガー」(汐文社、児童書)
  • 「忘れ難きボクシング名勝負100 昭和編」(日刊スポーツ出版社
  • 「プロレスが死んだ日。ヒクソン・グレイシーvs髙田延彦20年目の真実」(集英社インターナショナル
  • 「伝説のオリンピックランナー"いだてん"金栗四三」(汐文社児童書[1]
  • 「柔道の父、体育の父、嘉納治五郎」(汐文社、児童書)
  • 「オリンピックを呼んだ男 田畑政治」(汐文社、児童書)
  • 「キミも運動ができるようになる 1⃣徒競走、幅とび、垂直とび ほか」(汐文社、児童書)
  • 「キミも運動ができるようになる 2⃣なわとび、とび箱、鉄棒 ほか」(汐文社、児童書)
  • 「キミも運動ができるようになる 3⃣ボールを投げる・受ける・ける ほか」(汐文社、児童書)

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f 近藤さんが“マラソンの父”金栗四三の半生つづる 来年のNHK大河ドラマ主人公”. 夕刊三重 (2018年9月29日). 2019年4月11日閲覧。
  2. ^ a b 近藤隆夫「編集後記」『ゴング格闘技』第24巻第9号、日本スポーツ出版社、1991年12月1日、94頁。 
  3. ^ 近藤隆夫(聞き手)「大山倍達総裁に聞く!」『ゴング格闘技』第24巻第12号、日本スポーツ出版社、1991年9月1日、38-39頁。 
  4. ^ 「STAF」『ゴング格闘技』第25巻第2号、日本スポーツ出版社、1992年2月1日、94頁。