近藤英一郎

日本の政治家

近藤 英一郎(こんどう えいいちろう、1913年大正2年)2月4日 - 2014年平成26年)4月15日)は、日本政治家参議院議員(1期)。群馬県議会議員(5期)。大間々町長。

経歴

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1913年(大正2年)群馬県生まれ。1930年昭和5年)伊勢崎商業学校卒業。1944年(昭和19年)帝国陸軍東部第38部隊に入隊。同年5月15日北支易県陣2994部隊に配属。1951年(昭和26年)九州大学卒業。

1955年(昭和30年)群馬県議会副議長。1956年(昭和31年)10月、大間々町立小中学校備品購入費として10万円寄付により1957年(昭和32年)5月8日紺綬褒章受章[1][2]1959年(昭和34年)群馬県議会議長。同年6月、大間々町役場庁舎建設資金として10万円寄付により1962年(昭和37年)3月31日紺綬褒章受章(飾版)[1][3]1963年(昭和38年)自民党群馬県支部連合会幹事長。

1965年(昭和40年)第7回参議院議員通常選挙群馬県選挙区で公認候補の群馬県議会議長、小笠原米一が急死したため、後任候補として初当選。1968年(昭和43年)第2次佐藤第2次改造内閣北海道開発庁政務次官1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙落選。

1983年(昭和58年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。1986年(昭和61年)ブラジル国コートガリエンセ文化勲章・サン・フランシスコ勲章グランデ・オフィシャル・グラン・クルーズ章他を受章。

2000年(平成12年)秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。

2014年(平成26年)4月15日15時17分、老衰のため、群馬県太田市の老人介護施設で死去[4]。101歳没。死没日をもって正四位に叙される[5]

役職

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参考

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  • 交詢社 第69版 『日本紳士録』 1986年
  • 上毛新聞社 初版『激流を生き抜いて』 2005年12月

脚注

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  1. ^ a b 日本民政研究会編『国会議員総覧 1970年版』303頁 新評論社
  2. ^ 『官報』第9109号213頁 昭和32年5月9日号
  3. ^ 『官報』第10584号39-42頁 昭和37年4月3日号
  4. ^ 近藤英一郎氏死去(元自民党参院議員) 時事ドットコム 2014年4月16日
  5. ^ 『官報』第6292号8頁 平成26年5月20日