辺渓駅
かつて日本の北海道美深町にあった日本国有鉄道の駅
辺渓駅(ぺんけえき)は、北海道中川郡美深町字辺渓にあった日本国有鉄道(国鉄)美幸線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲122703[2]。
辺渓駅 | |
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ぺんけ Penke | |
◄東美深 (2.0 km) (14.9 km) 仁宇布► | |
所在地 | 北海道中川郡美深町字辺渓 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 美幸線 |
キロ程 | 6.3 km(美深起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)10月5日[1] |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)9月17日[1] |
備考 | 美幸線廃線に伴い廃駅 |
歴史
編集- 1964年(昭和39年)10月5日 - 日本国有鉄道美幸線美深駅 - 仁宇布駅間開通に伴い開業[1][3]。旅客のみ取扱い[1]の無人駅[4]。
- 1985年(昭和60年)9月17日 - 美幸線の廃線に伴い廃止となる[1]。
駅名の由来
編集当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ペンケ(penke)」(川上の~)に由来する[5]。本田貢はペンケニウプ川を表す「ペンケニウプ(penke-niwpu)」(川上の・ニウプ川)の上部から、としている[6]。
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(仁宇布方面に向かって右手側)に存在した。開業時からの無人駅で駅舎はないが、ホーム上に待合室を有した[7]。
利用状況
編集乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 10 | [8] |
駅周辺
編集- 仁宇布川
- ペンケ十号川 - 美幸線のコンクリート橋が残存している。
- 名士バス「辺渓公民館」停留所
駅跡
編集2000年(平成12年)時点で跡形もなく、駅近くのコンクリート橋のみが残存していた[9]。2011年(平成23年)時点で駅跡は原野になっており遺構は全く残っていない[10]。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、904頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ 「日本国有鉄道公示第439号」『官報』1964年9月26日。
- ^ 「通報 ●美幸線美深・仁宇布間の開業について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1964年9月26日、6面。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、184頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 83. ISBN 4893637606. OCLC 40491505 2018年10月16日閲覧。
- ^ 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)192ページより。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、892頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング、2000年1月発行)31ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)255ページより。